白隠禅師ゆかりの古刹

「駿河には、すぎたるものがふたつあり、冨士のお山に原の白隠」

■ 臨済宗中興の祖にして、500年に一人とたたえられた白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師は、江戸時代の駿河に生まれた高僧です。全国を行脚した後故郷に戻り、以後50年近く、松蔭寺(静岡県沼津市原)の住職を務めましたが、その間、請われて全国各地で講義を行うと共に、一万点余といわれる膨大な禅画・墨蹟をはじめ、漢文や仮名で多くの著作を残し、禅の教えを広めるために尽力されました。

 禅師は、富士市にも、多くの足跡を残されました。
 妙善寺隣に、「日の本一の霊地」として無量寺を再建され、遷化の後は、やがてここに分骨をされることになります。

 その間、妙善寺に住職した弟子を訪ね、逗留し、交流を重ねていた記録が今に残ります。
 妙善寺は、白隠禅師ゆかりの寺です。
 観音堂には禅師の手になる『常念閣』の扁額が掲げられています。
 霊験あらたかなお経であると、白隠禅師がこの上なく大切にされた『延命十句観音経』を常に念ずる…『常念』。
 観音さまを常に念ずる…『常念』。
 ここ妙善寺は、観音さまと白隠禅師と、ともに今を生きる「禅寺」なのです。

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