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富士ニュース『明窓浄机』(2017-3)掲載  
妙善寺住職 長島宗深

 「親に永遠の片思いをさせて、人は誰もが例外なしの親不孝である」

 先日、新聞のコラムで出合ったこの言葉が心に残り、以来、亡き父のことを度々思い起こすようになりました。父が生きた年月を超えた今、男同士であり、父親同士であり、和尚同士であった父が、やっと等身大で感じられるようになったからかもしれません。

 ふと、今では手にすることの少なくなった鉛筆を引き出しの奥から探し出し、意味もなく、カッターナイフで削ってみました。父に近づいてみたかったからです。
 私が子どもの頃、鉛筆削りの主役は小刀でした。父は、緑色の絶縁ビニールテープを柄にぐるぐる巻いただけの質素な「切出し小刀」を使い、そのお気に入りの道具で、あっという間に何本もの鉛筆を削ってくれるのが常でした。
 やがて私も小学校中学年になり、小刀を使うことが許されて、自分で鉛筆を削るようになるのですが、どうやっても父のようにダイナミックには削れないのです。削り口の角度、芯の長さのバランス、そしてなんと言っても作業の大胆さ・鮮やかさ…もちろん速さ。
 決してそう不器用ではない自分だと思ってきた私は、以来、鉛筆は手で削ることを心がけてきたのですが、残念ながら一本たりとも父の鉛筆に近づくことのないまま還暦を過ぎました。
 あの頃、父はどんな思いで鉛筆を削る姿を息子に見せてくれたのか。そしてその後、成長し生意気になり、親から少しずつ距離を置くようになり、心配もかけた私をどう見守り続けてくれたのか…。改めて思い起こすと、小さな親不孝を重ねてきた懺悔は膨らむばかりです。

 春彼岸を前にして、父に手紙を書いてみました。妙善寺本堂内には、「亡くなった方」に書いた手紙を受け取ってくれるポストがあるからです。

 グリーフケア(死別悲嘆)アドバイザーである寺庭さん(家内)の発案と設計による木製のポストは、「流した涙が虹いろに輝いて亡き方に届きますように」という願いを込めて設置され、『虹いろポスト』と名付けられました。
 このポストと同時期に作成されたリーフレットには、『大切な方を亡くされたみなさまへ』と題して始まるメッセージが記されています。
「あの人は、どこに行ってしまったのでしょうか? 今ごろ、どうしているのでしょうね。
 大切な方を失ったあの日から…どんなに呼びかけても、返事もない。電話一本、メールさえもかえってきません。
 それでも、伝えたいことはありませんか? 話したいことはありませんか? 大切な方に、手紙を出してみませんか?」。
 その呼びかけにいざなわれるように、遙か二十六年前に亡くなった父に、久しぶりに手紙を書いてみたのです。亡くなった父の歳を越えた私からの突然の手紙に、父は驚いているでしょうか。それとも、喜んでくれているでしょうか。
「読んだよ。ありがとうう」…そんな父の声が聞こえてきます。
 時まさに、春彼岸。今は亡き、あなたの大切な方に向けて手紙を書いてみませんか?

[手紙の宛先]
〒417-0852
富士市原田1344
妙善寺 虹いろポスト宛

 差出人名を書く必要はありません。手紙は一切開封しませんから、誰かの目にふれることはありません。一定期間を過ぎたらお焚(た)き上げをして空に返します。供養料(お焚き上げ料)等は一切不要です。
 宗旨をこえて、どなたが手紙を出してもかまわないポストです。よろしかったらどうぞお役立てください。
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