俳句額

観世音菩薩にかけた大願
めでたく満願成就し
ここに御礼の俳諧の莚を設ける
その折の俳句46句を彫刻して奉納したもの

江戸時代 享和3(1803)年初夏


お寺の紹介トップページへ
 この扁額は、観音堂の壁面に掲げられているもので、額縁を回した総欅作り、縦四十三a、横百七十八aの大きなものである。
 享和三年(一八〇三)六日、比奈村の渡辺佳享が観音菩薩に大願をかけ、満願成就の御礼に俳諧の莚を設け、そのときの俳句四十六句を彫刻して奉納したもので、書は葎雪庵午心(岩波午心 江戸中・後期の俳人。相模小田原生。別号を山花・葎雪庵。大島蓼太門次いで大島完来門。著書『玉田集』『錦袋集』がある。文化14年(1817)歿、享年未詳。)、彫刻は伊豆国宇久須村の浜村勇助、献句した人達は、地元の俳人茶鶴、去留、菅雅をはじめ、駿府時雨窓の桃壺、午心、さらには江戸の雪中庵完来( 大島完来 おおしま-かんらい 1748〜1817 江戸中期から後期の俳人。伊勢津藩士。通称は吉太郎、号に震柳舎・野狐窟・空華居士等がある。俳諧を二世宗瑞に、のち大島蓼太(りょうた)に学び、雪中庵の名蹟をついでその四世となった。編著に「江の島まうで」「藤衣」など。また能書で聞こえていた。完来は雪中庵四世、午心はまた雪中庵蓼太門で、完来と牛心とは同門 である。)など、有名な宗匠らが参加献句している。このことはその頃のこの地域での文化活動を知ることができる貴重な資料であると言えよう。
俳 額 享和三年初夏(旧四月)

法楽

紅塵(じん)乃ちまたなりけ里花菫(すみれ)   茶鶴  *紅塵…俗人の住む世の中。また、俗世の煩わしさ。俗塵。
霜(しも)凪(なぎ)やさハるものミな無常音   布泉   *霜凪…霜のおりる(朝のような)、全く風のない状態
この花に自得妙あ李(り)冬牡丹      杞(き)雪   *自得…自分の力で会得すること
秋もまた百日紅農旭か南    燕支
境内の梅ミ那(な)散亭(て)乙(つば)鳥(め)哉      ■(かく)雅
さハがしき里から来たり閑古鳥    秋 默尓
藤高し峯より落つる滝の音    臥龍
鹿も角茨にかけて花見か那      李径
ん免がゝや鐘は遙かに長楽寺   沼津 芝薫
寒月や峙(そばだ)ツ塔の石ひと津    白道
ち類は那(な)や発菩提心をの図から    家兄
森林に入亭道なし冬来たむ      秋歌
本(ほ)とゝ伎須(ぎす)鐘の数散る夕かな     青娥
井に落る雨かひと葉?(か)水をとか    斗斛
水にち流藤も三月三十(みそ)日(か)哉    梅舎
冬濃(の)月蟋蟀(こうろぎ)袖に入夜可奈    三紫
屋どり木にやど里さだめよ夜の蝉   女如橘
鳥の音も淡路嶋(しま)根や春の雨   免園
花に風まよひの雲を断日かな   東京 普成
立そめ類日は丘にあり春の雁   斗山
うき草や一鳥飛て月の淀   鉄山
もの静なる鳥の巣農日数かな     多少
夜のゆき鐘きく山の腮(あぎと)かな   時来
ゆふ立や二瀬に落る水の音      一醉
秋の日や第一山のふもと道      羽容
滝をとに日和あ里けりけさの秋    一宇
白蓮や江のかたハらに住やせむ    何竜
朧(おぼろ)夜(よ)やおぼつかなくも水の音   雲歩
入梅ふくむ後夜の鼓(つづみ)や郭公(ほととぎす)    奥津 之道
もの影に月も結びて夜寒哉    奥津 松洲
梅おそき在所も春に成にけ李   奥津 葛民
鶯や山はめ亭た支(き)苔清水 奥津 此白
杖頭の銭投すてつはるの滝     玉蛾
宿かりてよ里なかめ鳧(けり)藤の花 祖洲
夏籠のうしろに高き巌か難 耳山
水鳥や吹をれ松を蔭にして 尺布
語る事答ふる如し春の滝     願主 自足
苔しミつ業なき鍬を洗ハはや   願主 古塘
揚(あげ)雲(ひ)雀(ばり)不尽に雪解ハなかりけ梨     去畄(留) *揚雲雀…春の季語

滝に芋阿らふ僧あり師走山       之厚
夕毛美ち瀬をとに道を志る日哉 晴雀
ゆふ顔や花のうへより雲に月      菅雅
行秋や只明募松の色          蚊牛

ちりかゝる銀杏もさひし放生会    時雲窓桃壺

朝さくら御堂の燕こほれ行 葎雪庵 午心

明月の影や三十三化身     雪中庵 完来

享和三葵(きのと)亥(い) 初夏