「富士ニュース」平成22年1月19日(火)掲載

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Meiso Jouki

 今、新春の床の間に彩りを添えてくれているのは、境内のあちこちで咲いている水仙です。
 竹藪から切り出してきた孟宗竹の若緑鮮やかな花器に投げ込まれた一束の日本水仙。雪中花の異名にふさわしく、元旦から少しも衰えることなく清冽な芳香を放ち、寒い中にもひとときの安らぎを感じさせてくれています。

「白鳥が生みたるもののここちして朝夕めづる水仙の花」

 与謝野晶子さんがこう愛でたように、その美しい姿と香りにはおのずと心惹かれますが、水仙に寄せるこの心情は日本だけのものではなさそうです。
 水仙の学名「ナルキッサス」はギリシャ神話の美少年の名前。泉に映った自分の姿に恋をして毎日見つめ続けたら、いつのまにか一本の花(水仙)になってしまったとか。自分の美貌に酔いしれる人をナルシストと呼ぶのもここからですね。
 高校生の頃出会ったこの神話を思い出すたびに、なぜかいつも重なってくる仏教説話があります。どちらも自惚れやさんの話だからでしょうか。少しわかりやすく紹介してみます。

 インドに演若達多というたいへんな美男子がいたそうです。
 ある朝、いつものように鏡に自分の顔を見てうっとりしようと思いましたが、どうしたことか自慢の顔が鏡に映りません。頭ごと見あたらないのです。さあ一大事。きっと誰かがこの稀にみる美貌に嫉妬して顔を盗んでいったに違いないと思い込み、「私の顔はどこだ。私の頭を返せ!」と大騒ぎして町を探しまわったというのです。
 町の人は最初は笑いながらあきれて見ていましたが、演若達多があまりにも真剣に叫び続けているので気の毒に思い、何人かで取り押さえて「頭はちゃんとついているじゃないか。頭がなければ走れないじゃないか!」と言い聞かせたのだそうです。
 そこではっと我に返り、やっと安心したという話です。実は、演若達多が自分の顔を映そうとしたのは、鏡の裏側だったのです。それなのに早合点し、盗まれたと妄想を起こし、うろたえてしまったのでした。

 他愛ない笑い話のようなお話ですが、一番大切なことを見失ってしまっていませんか?という、私たちへの問いかけです。「いちばん大切な宝物は最初から手の中にあるのに、それを忘れていませんか」という指摘です。
 いちばん大切な宝物…それは『仏さまのような心』です。どんな境遇にあってもそこに意義と価値と、そして愉しみさえも見いだすことのできるすばらしい「智慧」と、観音さまのようにどこまでも相手を思いやれる深い「慈悲」の心です。
 その智慧と慈悲の心が、最初から私たち一人一人にはちゃんと具わっているのです。それなのに、止め処ない欲望や煩悩妄想に引きずり回されて、そんなすばらしい自分の「本当の姿」を見失っているのが私たちだと。
 お釈迦さまは、演若達多の愚かさを通して、そう教えてくださっているのです。

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明窓浄机

本当の姿

文・絵 長島宗深