「富士ニュース」平成22年3月16日(火)掲載

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Meiso Jouki

 私がまだ、お経を覚えたばかりの頃の話です。
 ある檀家さんのお宅でお盆の棚経を務めようとしたとき、その家のご主人が傍らにぴたりと正座して、感慨深げにこう言いました。

「ナムカラタンノー、トラヤーヤーという、お盆のあのお経はいいですねぇ。意味はちっともわからないけれど、ただ聞いているだけで、なにかこう、じーんとありがたい気持ちになるんです。『般若心経』みたいに意味が何となくわかるお経もいいけれど、意味がまったくわからないお経も、これはまたこれでいい。あの独特のリズムがねぇ。毎年楽しみにしていますよ。さあどうぞ、始めてください」

 目をつぶって神妙に読経を待つご主人の様子に、(そういうものなのかなぁ…)と半信半疑ながらも、間違えないように、たいそう緊張して読ませていただいた二十年前の思い出です。

「お経」はむずかしい、よくわからない、という声をよく耳にします。たしかにそうかもしれません。宗派によって異なりますが、私たち禅宗が読むお経は、大きく「漢文」「和文」「陀羅尼」の三種類に分けられ、このダラニが特にむずかしいのです。インドの古い言葉で書かれたお経の発音を、そのまま漢字で表した呪文のようなお経ですので、漢字を見てもちっとも意味はわかりませんし、もちろん耳で聞いてもチンプンカンプンです。
 たとえば、とても人気のある仏さまの一人である観音さまも、『般若心経』『観音経』といった漢文のお経なら「観自在菩薩」とか「観世音」と書かれているので(ああ観音さまのことだな)、と何となくわかるでしょうが、禅宗ダラニの代表『大悲呪』では観音さまは「婆盧吉帝爍??夜」と書かれています。これでは何のことだかわかりません。
 でもこのダラニは、もとの言葉を翻訳していないだけに、言葉そのものに偉大な力があるといわれます。みなさんよくご存じの『般若心経』もいちばん最後に「ギャーテーギャーテー…」というダラニ(真言)の部分があります。とても深い意味と力を秘めているので翻訳できないのです。西遊記のモデルになったあの三蔵法師も、旅の途中で出遭った幾多の苦難を、この真言を唱えて乗りきったといいます。

 この呪文のような不思議な響きが、私たちの心に一種の安らぎを感じさせてくれているという事実も、最近の科学が解明してくれました。
 ダラニを唱えているときのお坊さんの脳を調べてみると、坐禅の時と同じようにセロトニンという神経が活性化され、心がすっきり爽快なときの脳波であるα波が出やすいのだそうです。どうりで、聴く人だけでなく唱えている私たちも心地よいわけです。これもひとつの読経のご利益でしょう。
 意味がわかってもわからなくても、ありがたく受け取る。お釈迦さまが説かれたお経の功徳を丸ごと信じて、ただひたすら無心に唱える。こういうお経とのつきあい方もあるのです。 

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明窓浄机

わからないからありがたい

文・絵 長島宗深

お経の話(上)