「富士ニュース」平成22年4月13日(火)掲載

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Meiso Jouki

 最近、欧米で「ナイトスタンド・ブディスト」という言葉が広まっていると聞きました。電気スタンドの下の仏教徒、というほどの意味です。
 仏教に興味を持つ人たちが、一日の仕事が終わって食事もすませた夜のくつろぎのひとときに、小さな灯りの下で一人静かにお釈迦さまの教えに親しみ自らを見つめる…こんな個人的な仏教徒のあり方を言うのだそうです。
 そんな人たちが手にしているのが、お釈迦さまのいわば人生訓をまとめた『法句経』、あるいは、最近はホテルでも聖書と一緒に備えてあるのを見かけるようになった『仏教聖典』(仏教伝道協会)などだといいます。

こういった経典は、宗派にとらわれずお釈迦さまの教えにふれることができるので、私も愛読しています。
 どんな言葉が紹介されているかというと、たとえば、

「乱暴なことを言ってはならない。言われた人はあなたに言い返すであろう。怒りの言葉は苦痛である。あなたに報復がふりかかるだろう」

「愛らしく美しい色の花でも、香りのないことがあるように、みごとに説かれた言葉でも、実行しない人には役立たない」

「戦場において、数千の敵に勝つよりも、自己に勝つものこそ、最上の戦士である」

「眠れないでいる者に夜は長く、疲れた者に一里の道は遠い。真実をわきまえない愚か者に人生は長い」

…こういった教えの数々です。どうでしょう、これも「お経」なのです。

 お釈迦さまは、人の心のありようを、とても深く、かつ細やかに見抜かれた方でした。それだけではありません。示唆に富んだ教えの数々を、その相手の力量に応じて、誰にでもすぐわかるような言葉を使って話されたのです。

「意味のわかるお経」を味わう…これは、人生をよりよく生きるための道しるべとしてのお経とのつきあい方です。
 そんな意味では、近年各界の方たちが自由な発想と言葉で出版されている『般若心経』のさまざまな自由訳に親しんでみるのも、お経がぐっと身近に感じられていいのではないでしょうか。
 お経は決して和尚だけの専売特許ではありません。また法事やお葬式の時だけに読めばそれでいいというものでもありません。どういう形でもかまわないので、生きる上での心のよりどころとしてのお経(仏教)と縁を結んでいただきたいと願うのです。
 なぜなら、「自分さえよければいい」「どうせ死んだら終わりだから」「こんな俺のいのちなんか…」などという自分勝手な、自暴自棄的ともいえる思い込みをもとに起きる悲惨な事件が、あまりにも後を絶たない現代だからです。
 こんな時代だからこそ私たち僧侶は、真面目に仏教を引き継ぎ、またこれからもお経を通して、真面目に仏教を後世に伝えていこうとしているのです。
 そして、その道場として、お寺を守っていこうとしているのです。   

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明窓浄机

わからるからありがたい

文・絵 長島宗深

お経の話(中)