「富士ニュース」平成22年5月11日(火)掲載

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Meiso Jouki

  実は私は、お経を唱えるのが大好きです。
 正直なところ、最初からそういうわけではありませんでした。和尚の務めだし、義務だと思って読んでいた時期もありました。でも今はまったく違います。

 毎朝、順番にあちこちでお経を上げるのですが、いつしかこの日課が何より幸せなひとときになりました。最後に観音堂で太鼓を打ちながら、世界平和やみなさんの幸せのために祈る御祈祷は、天地に響けとばかりお腹の底から大きな声で唱えます。その心地よさは、和尚冥利に尽きます。
 葬儀や法要の時に、複数の和尚さまたちがお互いを気遣いつつ声を合わせて唱える和合のお経の響きのおごそかさも、心に染みます。

 年忌法要で檀家さんたちと一緒に、故人の冥福を祈って唱える供養の読経は、たとえどんなに声はバラバラでも、亡き人へのそれぞれの感謝の思いと願いが込められているのが感じられて、しみじみとした思いにつつまれます。
 状況も意味も異なるこれらの読経ですが、共通しているのは、どれも心が込められたとき、初めてありがたさが生まれるのではないかということです。

 近年、葬儀法要のあり方が話題に上ります。営利業者に派遣された見ず知らずの僧侶に供養を依頼する場合もあると聞きます。事情はさまざまですからその是非はともかくとして、その和尚さんたちと私のお経はどこが違うのだろうか?と真剣に考えてみたことがあります。一体どういうお経がありがたく感じられるのだろうか。どういうお経を上げれば、大切な人に安らぎあれと祈る供養の心が満たされるだろうか、と自分を問い詰めてみたのです。

 その結果、私なりの結論として「こういう心構えで読経に臨みたい」と、自らを戒めるようになりました。
それは…
@常日頃から修行する心を手放さず、

A法事の意義、お経の意味を十分踏まえた上で、

B檀家さんお一人お一人のことを思い描いて、

C一字一句ていねいに、心を込めて朗々と唱えていこう、ということでした。

 お経には八つのすばらしい功徳があると、白隠禅師の高弟、東嶺禅師は明言されます。
 その中に「読経の声が心に入り、心を正しくする」「読経の声が身体に充ち、気血のめぐりがよくなって病を除く」「善神の守護を受け、悪鬼は怖れて近づかなくなるから災いが滅する」「心願が成就する」と、自分が受ける功徳についてふれた後、「供養が届いて故人の霊を慰める」「仏縁を広める」と他に向けられる功徳などについてもふれています。心を込めた読経は自らを救い、また他をも救っていくのです。

 私たち僧侶は、お寺に住み、日々お経に親しむことでこんなにたくさんの功徳をいただいています。独り占めしていたのでは申し訳ありません。
 これからもお経のすばらしさを自信を持ってみなさんにお伝えし、また縁ある方々と一緒に読み継いでいこうと思います。  

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明窓浄机

読経の声

文・絵 長島宗深

お経の話(下)