「富士ニュース」平成22年6月8日(火)掲載

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Meiso Jouki

  訪れるひと誰もがはっと息をのむ新緑の境内である朝、庭掃除をしていたときのことです。
 ウォーキングで訪れてこられたご家族連れに、声をかけられました。礼儀正しく帽子をとって歩み寄り、ご挨拶されたのは、年輩のご主人でした。

「和尚さん…おはようございます。今度の日曜日は法話会ですね。ずっと楽しみにしてましたよ。前の法話会で教えていただいた合掌のお話、この孫に話しましてね、毎日やってますよ。ほら、和尚さんの前でやってごらん」
 恥ずかしそうに陰に隠れて様子をうかがっていたお孫さんは、まだ小学校の低学年くらいでしょうか。どうやらおじいちゃんおばあちゃんと連れだって、休日のお散歩のようです。
「ほら。ほら…」と、にこやかながらも何度も二人にそう促された彼は、ためらいながら、おそるおそる見知らぬお坊さん(私)に近づき、そこで覚悟を決めたようにぴっと背筋を伸ばして手を合わせ、

「みぎほとけ! ひだりぼんぶとあわすての なかにゆかしき なむのひとこえ!」

 とてもよく通る澄んだ声が、境内にすがすがしく響き渡りました。
 最初は(いったいなんのことだろう?)と戸惑いつつ愛想笑いしてた私でしたが、その声にはっと気づき、あわてて手にしていた竹箒を立てかけて、おもわず小さな彼に合掌しました。
 そして、真っ直ぐ私に向けられたその合掌の姿と真剣なまなざしを前に、私は、あっけにとられるやらうれしいやらで、じーんとして、立ちすくんでしまったのです。
 数秒後。
「よくできたねぇ」
 かたわらでにこやかに見守っていらしたおばあさんの声を聞いた彼は、ぱっと表情をくずして元のあどけない少年の顔に戻り、てれくさそうに野原に駈け出していきました。

 少し前の本欄でも紹介した合掌の合い言葉「右仏、左凡夫と合わす手の、中にゆかしき南無のひと声」…悩み迷い多き私たち凡人凡夫を表す左手に、仏さまの宿る右手が温かく寄り添ってくださる。こうして左右の手を合わせて尊いなにかを「南無南無」と謙虚に拝むことの大切さを、このご夫婦は法話会の後、お孫さんに伝えてくださったのだそうです。そしてそれは今回ばかりではなく、これまでに何度も、家庭の中で「きょうはお寺でこんないいことを聞いてきたよ」と伝えてこられたそうなのです。
 私のつたない話がこうしてどこかのご家族の話題にのぼり、祖父母とお孫さんとの絆のひとつとして役立っていることを初めて知って、(ありがたいことだなぁ)と、しみじみとした感謝の思いがこみあげてきました。

 そして、「親が拝めば子も拝む 拝む姿の美しさ」と、古来より語り継がれてきた名句を合わせて思い起こし、まず大人が身を以て示すことの大切さを、このご家族からあらためて学ばせていただいたことに、さらに感謝を重ねたのでした。

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明窓浄机

合    掌

文・絵 長島宗深