「富士ニュース」平成22年7月6日(火)掲載

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Meiso Jouki

  昭和の名僧・山本玄峰老師の言葉に、
「六十より七十。七十より八十。八十より、死んでからだぞ、死んでからだぞ」
という名言があることを近年知りました。
 死は決してすべての終わりではない。だから、何歳になっても、いやたとえこの世を離れた後といえども、よりよく生きようとする心を失ってはいけない…という深い慈悲の教えだと私は受け取り、以来、自分の心の真ん中にどんと据えさせていただいています。

 人は、死んだ後、どうなるのでしょうか?
 これまで私も、何度かこう尋ねられたことがあります。そんな時、私は素直に、
「そうですねぇ…正直なところ、私も死んだことがないから(笑)、本当のことはわからないのです。でも、それはいずれ死んだらわかること。それより、確かに生きている今のこの命を、しっかり生きることに向き合いませんか?」そんなふうに答えてきました。
 今もこの答えは間違っていないと思っています。でも、玄峰老師の教えに出会ってからは、角度を変えて、もう少し親切にお答えするようになったのです。

 妙善寺の今月の掲示板に「地球もご縁も まるいもの 巡り巡って今がある」と書きました。
 もし、地球の上をまっすぐに歩いて行けたとしましょう。どこまでもどこまでもまっすぐに進んでいくと…元いた場所に戻りますね。私たちのまわりの「ご縁」も同じです。いいことをしてもすぐに結果は出ないかもしれませんが、巡り巡って必ず自分のところにいい結果が戻ってきます。その逆に、悪いことをしてしまったら、たとえ誰に気づかれなかったとしても、やがて自分のところに戻ってくる…。
 これがみなさんよくご存じの「自業自得」という仏教語です。「良い行いも悪い行いも、自分のしたこと(業)の影響は、全部自分が引き取る」…という、たいへん厳しい教えです。もしそれが、この世に生きている内に精算できなければ、来世でもまたその次の来世でも、やったことはついてまわりますよ。だから早いうちに、悪いことは帳消しにして、いいことをたくさんしておいた方がいいですよ。決して「死んで終わり」ではありません、と。

 死んだ後どうなるか、本当にわかりません。でも、もし、万が一、餓鬼や地獄の世界に転じてしまったら大変です。罪滅ぼしの修行がそうそうできようももありません。何しろとんでもなく苦しい世界だというのですから。
 私たちは今幸いに、いいこともするけれど悪いこともし、苦しみも多いけれど喜びも得られる「人間」の世界に生きるチャンスをいただきました。さらに、正しく生きる教えとの出会いをいただいています。だから私と一緒に(少しでもチャンスを活かしましょう)と、みなさんにこうしてお勧めしているのです。
 悪いことはできるだけせず、そして一つでも多く、善いことをしよう。『諸悪莫作衆善奉行』…これがお釈迦さまの教えの基本の一つです。

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明窓浄机

巡り巡って

文・絵 長島宗深