「富士ニュース」平成22年8月3日(火)掲載

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Meiso Jouki

  八月四日は、毎年恒例、お盆前の『お施餓鬼』法要の日です。

「和尚さん『よせがき』は十一時からだったね?あの法要は珍しいから毎年楽しみにしているさ。お坊さんが大勢でにぎやかで。最近はこれがすむとじきにお盆が来るって感じるようになったよ」

(「寄せ書き?」じゃないんだけどなぁ…)と檀家さんの勘違いを苦笑いしつつ、(でも、餓鬼を寄せ集めて供養しようというんだから「寄せ餓鬼」でもいいか)、と一人納得して相づちを打つ私です。

 お施餓鬼にはこんな由来が伝わっています。
 昔、まだお釈迦さまがいらした頃。阿難さんというお弟子が坐禅をしていると、やせほそった化け物が口から炎を吐きながら近づいてきて、こう予言したのだそうです。
「お前は三日以内に死に、おれたち餓鬼の世界に堕ちるであろう」
 餓鬼というのは、生前強欲だった人間が生まれ変わるとされる世界で、食べ物も飲み物も与えられず、常に飢えと渇きで苦しむ世界です。いくら修行を積んだ阿難さんでもそんな世界に三日で行くのはイヤです。困ってお釈迦さまに相談すると、「たくさんのお坊さんと餓鬼に、たくさんの食べ物の供養をすればよい」と答えられ、さらにわずかの米や水が無限に増える儀式の方法を教えてくださったのです。
 それによって、阿難さんも多くの餓鬼も救われたという逸話をもとに行われるのが、「お施餓鬼」法要です。

 この日、境内には、高々と「招き幡」が掲げられます。(今日ここで、お盆の先祖供養に合わせて餓鬼の供養もするから、遠慮なく集まっておいで)という意思表示です。
 本堂の中は色鮮やかな五色幡が風に揺れ、有縁の先祖供養の祭壇とは別に、餓鬼専用の祭壇が用意され、そこには山盛りのご飯や山海の珍味が供えられます。こうした飾りつけの中、和尚さんも参列者のみなさんも汗だくになって法要に参列するのです。
 もちろん餓鬼は目には見えませんし、食べ物が実際に減ることもありません。でも、その見えない何かにも思いを寄せることができるというのが、日本人の心の豊かさではないでしょうか。

 今話題のNHK連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の中には何度となく「見えんけど、おる」というセリフが効果的に登場しています。目には見えないけれども、私たちの周りにいる何か…神様、仏さま、ご先祖さま…それだけではない、お化けも、妖怪も、幽霊も…それぞれの立場で、私たちを守ってくれたり、導いてくれたり、あるいはまた反面教師として悪を戒めてくれたりもするのです。

 お施餓鬼は、暑さと渇きにあえぐ餓鬼の苦しみを共感し、そして、自らの中にも醜く欲深い餓鬼の心が巣くっていないかと反省する場。そしてもうひとつは、施しの行に込められた私たちの慈悲心に気づく場です。
 餓鬼に届けられるのは米や水に託された「餓鬼をも救いたいと願う私たちの無限の慈悲心」なのです。やさしさや思いやりは、どれだけ施したとしても、減りもせず、なくなりもしませんから。

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明窓浄机

「よせがき!?」

文・絵 長島宗深