「富士ニュース」平成22年8月31日(火)掲載

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Meiso Jouki

 『千手経』の中に、仏道修行中の観音さまの物語が登場します。私には何度読んでも心揺さぶられる場面ですので、ちょっとご紹介しましょう。

 はるか昔。観音さまがまだ青年の頃、千光王静住如来という仏さまの元で学ぶさなか『大悲心陀羅尼』という特別な呪文を授けられることになりました。

「観音菩薩よ、あなたは私が教えたこの『慈悲の心の呪文』を唱え続けて、この後、一切の生きとし生けるもののために、広く利益と安楽を与えなければならない」
 金色に輝くりっぱな如来さまの手でじきじきに頭を撫でらて、大きな使命を託された若き観音さまは、感激のあまり思わずこう答えます。

「もし私にそのような使命が全うできるというのでしたら、この体にぜひ、千の手と千の眼をそなえていただきたいのです!」

 すると不思議なことにすぐさま千手千眼が完全にそなわったといいます。当時の「千」という数字は無限に多いという意味を表します。限りなく多くの眼で悩み苦しむ人々の姿を観て取り、限りなく多くの方法で、誰一人余すことなく救いの手をさしのべたいと誓った観音さま。
 観音さまに対して使うべき言葉ではないのですが…この場面を想像するたびに私は、あまりにもそのお姿が、純真で、まっすぐで、健気に思われて、熱いものがこみあげてくるのです。
 この強い誓いをおこして以来、観音さまはかたときもたゆむことなく、私たちを救い続けてくださっています。そう、もちろん今も、ずっと。

わが妙善寺の碑文によれば、このお寺ではもう千二百年も前から観音さまをお祀りしてきました。現在の観音堂のご本尊はこの千手観音さま。室町時代に安置されて以来、この地で人々の祈りを受け止めてこられました。
 秘仏ですから、住職といえどもそう簡単にはお目もじかなわないのですが、私は妙善寺の千手観音さまのお姿が、他のどのお寺のお仏像より好きです。何の彩色もなく、金箔もなく、木肌そのもののぬくもりが感じられる自然なお姿。ゆったりとした坐相。やわらかな合掌…。

 私たちがお願いしようとしなかろうと、そんなことはちっともお構いなく、観音さまはただひたすら私たちを守り続けてこられたのだと思うと、どれほどの感謝の言葉も意を尽くせません。せめて私も、観音さまの手の一本に使っていただこう、目の一つに加えていだこうと、観音さまと同じ『大悲心陀羅尼』の呪文を毎日お唱えするのみです。

 本年、この秘仏千手観音さまに感謝を込めて、大がかりなお灯明をお供えすることにしました。年二回のご開帳のうちの一回である夜観音祭に、数百本の竹灯籠「竹かぐや」に火をともし、光供養をします。よろしかったらお参りください。闇に浮かび上がる観音さまは、よりいっそうありがたく、みなさんを迎えてくださるでしょう。


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明窓浄机

夜観音 ご開帳

文・絵 長島宗深