「富士ニュース」平成22年10月26日(火)掲載

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Meiso Jouki

 ある研修で、坐禅の呼吸法について説明をしていたときのことです。
「鶴は千年、亀は万年。長生きの象徴である亀は実際に四百年くらい生きた記録があるそうです。普通、亀の呼吸数は一分間にたった二回。ゆったりとした呼吸ですね。人間はもっとたくさん息をします。平均十八回…それで寿命は八十歳超くらいです。そして、人間よりずっと呼吸数の多い猿の寿命は二十歳くらい。つまり、せかせか気ぜわしい呼吸をする生き物は短命。逆に長く息をする生き物は長生き。坐禅は長い息をします。ながいき(長息)は長生き!」

 実はこの研修に参加したのは、お隣韓国の方たちでした。日本の寺院の雰囲気を味わいたいという希望から、私のお寺で坐禅体験をすることになったのです。
 私の話はすべて、日本語に堪能な韓国の女性が訳してくださいました。彼女はベテランの通訳さんらしく、私の目を見てしっかり聞き、そしてそれを参加者に伝えるたびに、みんながいちいちうなずく様子に、(話が理解されているのだな)と安心しながら説明を続けていたのです。
 ところが、先ほどの「長息は長生き」の所まで進んだとき、彼女は突然黙ってしまいました。
私はもう一度言い直しました。すると彼女は首を横に振り、困ったようにこう言うのです。
「ソノ言葉ハ、ダメ!」
「…なぜ(笑)? 訳してください」と再度お願いすると、しぶしぶ…
「○×△×…」
 どう伝えてくれたのか私にはわかりませんが、参加者同士顔を見合わせて戸惑い始めたところを見ると、この部分はすんなり納得できなかったようでした。その反応を確かめた彼女がひと言。
「長く生きることがいいことだとは限りません」
…確かにその通りです。言葉足らずでした。

 以前ある禅僧が「寿」という墨蹟の意味を突然問われ「長く生きること、おめでたいことです」ととっさに説明すると、「人の価値は長く生きたかどうかではなく、どう生きたかにあります」と相手に諭されたという逸話が頭をよぎりました。
 現代は「長生き」そのものが、すべて幸せとはいえない複雑な時代になりました。でも、せっかく生きるチャンスをいただいているのですから、そのチャンスにできる限り真面目に向き合うのが、命をいただいた者の使命でありましょう。
 百歳の現役医師・日野原重明さんは、「自分の長寿をありがたいと思い、うれしいと感じている理由は(あのときのあれは失敗だったなぁ)と思うことを一度やりなおして、私の人生のあちこちにできた破れ目をつくろって強くしたり…人生にさらに磨きをかける時間をたっぷりもらえたからです」さらに「(寿命というのは引き算ではなく、逆に)『寿命』という大きなからっぽの器の中に、精一杯生きた一瞬一瞬を詰め込んでいくイメージ」だとおっしゃいます。

こうしてどこまでも充実した人生を送っていくためには、心のお手入れが必要です。そのいちばんの方法が、禅ではまず、正しい姿勢と正しい呼吸が必要だと説きます。「大きくゆったりとする長息は、誠実な長生き」につながっていくの

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明窓浄机

長 生 き

文・絵 長島宗深