「富士ニュース」平成22年11月23日(火)掲載

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Meiso Jouki

  赤い屋根の観音堂に寄り添うようにして、一本の桜の古木が生きています。
 幾度かの大きな台風で境内の桜がほぼ全部倒れてしまったときも、なぜか一本だけ生き残ったという強い木です。樹齢は百二十年ほどといわれますが、それはわずかに古老の問わず語りから知るばかりです。

 朝の冷え込みがゆるんだ十時過ぎ。気分転換に外に出て、日なたぼっこかたがた、しばしこの木を見上げてみました。
 もう数えるほどしか残っていない葉が、やわらかな秋風にかすかに揺れています。所々に穴があいて、もういつでも枝を離れる準備のできたカサカサの紅葉が、光を浴びて最後の輝きを放っているのです。その葉の向こうに広がる、どこまでも澄んだ秋空。
 と、にぎやかな声が聞こえてきました。シジュウカラやメジロの群れです。朝のおしゃべりを交わしながら、枝から枝へせわしなく動き回っています。私が灰色の作務衣でじっと立っているからでしょうか、こんなに近くに人間がいるのに気にならないようすで、餌になる虫探しに夢中になっています。
 さえずりの中に違う音が入り込んできました。カッカッカッカ…まるで機関銃のような音です。キツツキの仲間、コゲラの登場です。枯れ木に巣を作るそうですから微笑ましく見てばかりはおれませんが、そのアクロバティックな動きはいつまで見ていても飽きません。
(この木をここに植えたのは人間だけれど、木は人間だけのものじゃない。木は鳥たちとも共に生きているんだなぁ)と、しみじみ思います。

鳥が木をついばむ先を目で追っていくと、折れた木口の多いことに気がつきます。太い枝の何本かは途中から折れ、そこから雨が入って腐ってしまったのです。
 でも一方、そんなことには負けじと、何本かの枝が、日当たりのある空間をめざして力強く伸びています。まるで、腕をしっかり伸ばし、さらに掌をいっぱいに広げたように、空の隙間に向かって、上に、横にと自在に伸びています。老木とは思えぬ、圧倒的な生命力です。
 そしてその梢の先の、さらに先っぽの細い枝先のいちいちに目をこらすと、どの枝先にも、米粒ほどのつぼみが、もうしっかりと冬越しに咲く準備をしていたのには驚きました。
 おそらく、私たちの目には見えず、気づかないところで、ひび割れだらけの幹は絶え間なく水をくみ上げ、そしてまた私が踏みつけてしまっている根っこの部分でも、来春に花を咲かせるための準備が着々と進んでいるのです。私にとってこの時期は、落ち葉掃きの作務はやれやれ一段落ですが、この老木は休むことなく生命のいとなみを続けているのです。
 私たちはつい、春の桜花ばかりに心を奪われがちですが、こんな静かな時期の木々のいとなみとじっくり向き合ってみるのもいい。さらには「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根っこの恩を知れ」…古人の残したこんな言葉の奥深さを味わってみるのもまたいいのではないでしょうか。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

桜 古 木