「富士ニュース」平成23年1月18日(火)掲載

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Meiso Jouki

 大晦日から元旦にかけての除夜の鐘には、多くの善男善女がお参りされ、一心に除災招福を祈願していかれました。
 私にとっても、寒空の下、参拝者お一人お一人のために観音経を唱えながらの一時間はなかなかの苦行なのですが、自分自身の一年の総懺悔と思い、心を奮い立たせて臨んでいます。

 この鐘つきの直後に行う新年の初仕事は、朝の勤行です。冷え切った法衣のまま、仏さまがたに新年のご挨拶巡りをするのです。
 深夜一時。湯気の立つ朱塗の茶湯器を、まずご本尊さまにお供えし、お線香を一本取り出して香炉に向き合います。数日前に掃除して以来使わずにおいた香炉ですから、灰の表面は滑らかに整っています。その真ん中を見定めて、お線香を真っ直ぐ立てます。
 そこでおもむろに朱扇を床に広げ、五体投地の作法で、恭敬の思いを捧げるのです。

 五体投地とは、額・両手・両膝の五か所を床に投げ出して、全身で相手を拝むこと。チベットの聖地めざし、拝をしながら前に進む巡礼はことに有名ですが、私たちはその場でゆっくり三回繰り返すのが常です。
 かぐわしい沈香の香りが豊かにたゆうとう中、み仏の前に額ずいて信心の証しを黙々と示すこの作法は、仏教では最高の礼拝の方法なのです。
 以前、仏跡巡拝の折、二度ほど、他国の方の五体投地の姿に見ゆるチャンスがありました。
 最初はインドでした。デリーの博物館で見学をしていると、ある展示の前で一人の女性が土足の床にひれ伏して、いきなり五体投地を始めたのです。鮮やかなサリーが汚れるのもいとわず何度も繰り返される礼拝行。戸惑う私に気づいた係員が「スリランカの仏教徒だよ」と英語で小声で教えてくれました。それが、「ブッダ・ボーン」だということも。
 そこだけロープが張られたガラスケースの中、赤い敷物の上に小さな容器が見えます。その時初めて、その厳重な警戒で守られているのが『仏舎利』(お釈迦さまのご遺骨)であることに気づき、あわてて深々と合掌した私でした。

 二度目は韓国。ある観光寺院の本堂の片隅で、数人の信者さんが五体投地をしているのに気づいたのです。
 せっかくですから私もお参りさせていただくことにしました。木の床は、ずっしりと重量感があって踏んでもびくともしません。長い歳月をかけた信者さんたちの拝で黒光りし、しっとりとして、拝で伸ばした掌にぴたりと吸いつくようです。ひんやりしているのにぬくもりが伝わる、なんとも心地よい手ざわりでした。
 その時、この床がどれほど多くの人の拝を受け止めてきたことかと思いを巡らし、感無量になりました。(ああ、この国の人たちも、言葉は違えど、私と同じようにお釈迦さまを大切に思い、全身を投げ出して帰依してきたのだ)と。
 二〇一一年。
 今年も五体投地の礼拝で、新しい一年が始まりました。どうかみなさんが幸せでありますように、との願いを込めて!
 


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明窓浄机

文・絵 長島宗深

五体投地