「富士ニュース」平成23年8月2日(火)掲載

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Meiso Jouki

 六月末、東日本大震災の被災地・石巻を、復興ボランティアとして、ごく短期間でしたが訪れさせていただきました。
 実際にこの目で見る景色、鼻をつく異臭、被災された方からじかに耳にする体験談、大切にされていたであろう品々を片付けるむなしい作業…正直なところ、現地の印象はどれもきびしいものでした。

 昼食後、体を休めるための短い自由時間に、少し周囲を歩いてみました。被害の大きかった河口付近ですから、住居も工場も、まだ無惨な姿がそのまま残っていました。
 ひどく蒸し暑い昼下がり。日を遮る場所もない瓦礫の中の道路を悲痛な思いで歩いていると、前から荷物を持った高齢の女性が、ヨロヨロ歩いてくるのが見えました。
(人が住める場所じゃないし、どういう方だろう?)と思いを巡らしながらのすれちがいざま、、それまでうつむいていたその女性は私に気づいて立ち止まり、顔を上げるなり、
「ボランティアに来てくれたの?」。
 不意にかけられた明るい声に戸惑いつつ「はい」と小さく答えると、
「ありがとうね!」
と、びっくりするほど大きな声でお礼を言われたのです。
「近くのお寺さんで、片付けをしています」
「そう。ご苦労さま。そうだ、これ…食べて。(袋をガサゴソ探りつつ)かまぼこ。有名なお店のだからおいしいよ」
「あ、いえ、とんでもない」
「それから、トマト。これも食べてね」

 手渡されたのは大人のゲンコツより一回りも大きな見事なトマトでした。
「買い物に行かれたんですか?」
「川の向こうにね、野菜の特設売り場ができたの。でも買ったら重くて重くて…バスはないし」
「(にっこり)手伝いますよ、お宅はどこですか?ご近所ですか?」
「避難所。小学校の体育館」
「それじゃ、同じ方向だ。一緒に行きましょう」
 ちょっとほっとしたのか疲れがピークだったのか、数歩歩いて人気のない建物の日蔭にしゃがみ込んでしまった女性のかたわらに私も坐り、話に耳を傾けることにしました。七十歳過ぎて、一人になってしまったといいます。
「私はね、神さま、仏さま、ご先祖さまに守られているの。津波の時も家の二階にいて、とても怖い思いをしたけれど、心の底から(助けてください、助けてください!)ってお祈りしたら、目の前にぱっと立派な身なりの方が現れて、(こっちだよ)と手招きしてくださった。一体どなただったのかねぇ、あれは。でも、こんな話をしても、誰も信じてくれないけどね」
「私は信じますよ、お坊さんですから、ほら」

 頭に巻いていたタオルを取ると、びっくりしたように、
「あなた、お坊さんだったの? じゃあわかってもらえるわね。あらそう、お坊さんなの…」
 こちらの身分がわかり、より安心したのか、女性は、避難所までの一〇分ほどの道すがら、問わず語りを続けました。そして、その別れ際です。
「ほんとにありがとう。さっきまで心臓が苦しかったけれど、お坊さんと話ができて、本当にうれしかった。気が楽になった。ありがとう、ありがとう」
 最初に出会ったときとはずいぶん違う明るい表情でそう何度もお礼を言うと、トマトをさらにもう一個、私の手のひらに乗せてくれた彼女。
「おいしいよ〜。カプッと食べてね、カプッと」
にっこり笑いながらそう言って避難所の中に姿を消していきました。
 その彼女の後ろ姿を見送りながら、(こちらこそ、かえってありがとうございました)と、被災地で思いがけずにいただいた明るさ、強さと、思いやりに、感謝の気持ちで手を合わせた私でした。
と同時に、(ただ話し相手になるだけであんなに喜んでいただけるなんて…もしかしたらこれも一つのささやかなボランティアになったのかもしれないなぁ)そう感じたのです。
 昨今、さまざまな場で「傾聴」という言葉を耳にします。金銭的支援、物的支援、労力的支援…さまざまな支援が、世界中から被災地に届いています。そうした中で、長期化する復興への道のりには、そばに寄り添い、言葉に耳を傾ける「傾聴」という支援も大切なのだということを、今回のボランティアで身をもって教えていただきました。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

「傾聴」というボランティア