「富士ニュース」平成23年2月15日(火)掲載

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Meiso Jouki

 まだ私が子どもの頃の鮮やかな記憶です。
 近づいた春の観音祭典の準備で大勢の信者さんが忙しそうに立ち働く中、もんぺ姿にかっぽう着、姉さんかぶりの祖母が、生き生きと動き回っていました。
 やがて小柄な体でお堂の須弥壇にひょいと登った祖母は、真っ白な晒し木綿で、ていねいに本尊さまのお顔のあたりをぬぐい始めたのです。薄暗い本堂の中、祖母の神妙な表情と、その布のきりりとした白さだけが、今も強く印象に残っています。

 なんだか大勢の人の中にいるのがただうれしくて、うろうろしていた私は、祖母を見上げて尋ねました。「ねぇ、おばあちゃん、何してるの?」
 すると祖母はにこにこしながら、「おみぬぐいだよ。お観音さんをきれいにしてるんだよ」と教えてくれたのです。
(そうか、おみぬぐい、か。…おみぬぐい…おみぬぐい)忘れないように何度もその不思議な言葉を口ずさんだ私でした。

 今月の十九日は、恒例の観音大祭を迎えます。
 お堂掃除、赤い幟幡の組み立て、「本尊さまの御姿札」「うま札」作りに魂入れ、そして馬柵設置など、一つずつ準備を進めていくのですが、そんな中、今朝は「おみぬぐい」をつとめさせていただきました。秘仏本尊・千手観音さまの半年ぶりの御開帳に備えての「お身拭い」です。
 秘仏のお厨子をしずかに開け、ほこりをそっとはたいた後で、白い布でご本尊さまの御身を拭わせていただきます。もちろん、ひどく汚れているわけではありませんが、古い木造のお堂のすきまからはどうしても埃がまぎれ込みます。入り込んだホコリをそっと払った後、肌を磨きます。歴史のあるお仏像ですから、壊さないように細心の注意をはらっての慎重なおつとめです。
 ふだんは住職といえどもお目にかかれない仏さまですから、この時とばかりに前から横から間近に拝ませていただいたり、掌を近づけて大きさを比べてみたり…。無邪気に楽しみながらおつとめしているさなかと、ふと、こんなことを思いました。
(観音さまはいくらたくさんの手をお持ちでも、自分の体をふくことはできないんだなぁ。私たちがお風呂で体を洗うようにきれいにはできないんだなぁ…お気の毒に)
 すると、逆に、こんな言葉が私の心に返ってきたのです。 
「和尚さん、体は洗えても、あなたの心の汚れは大丈夫ですか?ホコリはたまっていませんか?」
 そうでした。観音さまの心配をしている場合ではありません。知らず知らずに私たちの心には、見えないホコリや汚れがたまっているに違いありません。昔から「顔の汚れは気にかかる。心の汚れは気にかけぬ」という箴言もあります。こういうことにあらためて気づかせていただくのも、おみぬぐいのご利益なのでしょう。
 ご自宅にお仏壇をまつられている方、ときにはおみぬぐいをされていますか? 仏さまも、ご先祖さまも喜びますよ。そして、自分の心にたまったほこりにも気づき、お掃除しましょう。

 目には見えない心の汚れの落とし方について、お釈迦さまはこうおっしゃっています。「心の垢は、智慧の水をもって洗除せよ」(『文殊師利問経』)。
 仏さまの智慧の教えこそが、煩悩だらけの私たちの心の汚れを洗い流す、水や洗剤になるのです。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

おみぬぐい