「富士ニュース」平成23年5月10日(火)掲載

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Meiso Jouki

 禅に「夜坐」(やざ)という修行方法があります。
 禅道場では、毎晩九時になると就寝前のお経を読み、合図と共に一斉に消灯し、寝支度をして蒲団に潜り込みます。これで朝まで眠れるならばこんな楽なことはないのですが…。

 禅堂の扉がぴしゃりと閉められ、指導役の先輩が姿を消した一瞬の静寂の後、雲水はもぞもぞと起きだし、黙って坐禅蒲団を抱えて外に出ます。夜の自主的な坐禅、「夜坐」の始まりです。各自が思い思いの場所で、坐禅の続きに励むのです。

 夜坐の方法や時間は修行道場毎に違います。でもたいてい入門当初は、全員が同じ場所で、一定時間強制的に坐らされるのが常です。私は最初の頃(昼間さんざん坐禅したのに、またか…)と、うんざりした思いでこの時間を耐えていました。坐禅に脚が慣れないときは本当に苦痛ですから。
 でも、いつしかこの時間は、一日の中でいちばん豊かな時間に変わっていきました。多少の制約はあるとはいえ、ともかくゆったりとマイペースで坐れるからです。
 日中の厳しい修行をやりとげた後の安堵と解放感の中…猛暑の夏の深夜、本堂濡れ縁で味わった風の涼しさ。真冬の境内、平らな坐禅石の上、寒さしのぎにありったけの蒲団をかぶって坐った時に見た冴え冴えした月。
 一日の終わりに、自然のど真ん中で、どっかり坐ったときに感じる一体感は、なんともいえないものでした。もちろん、足は痛い。でもそれをはるかに超える心地よさも感じられたのです。

 その心地よさが何なのか、実は最近、腑に落ちたことがありました。ある和尚さんの随筆にこんな一文を見つけたのです。

「『体を調え、呼吸を調え、心を調えて安らかに坐る、坐禅で自分を調律するのだ。…私にとって坐禅は一生の楽しみだ。私は毎晩の夜坐で一日の小さな乱れを元に戻す。この時が一番の楽しみだよ』…そう言って師匠は本堂の前で月明かりの元、気持ちよさそうに坐っておられました」

 坐禅は痛いもの苦しいもの。ともするとそんな悪いイメージばかりが先行し、敬遠されがちです。たしかにプロの禅僧になるためには、その壁は乗り越えなければなりませんが、みなさんにもこの「坐る楽しみ・調う楽しみ」だけは味わっていただけます。

 ちょっと背筋を伸ばし、下腹を突き出して、大きく深い息をします。吸う息よりも、吐く息を細く長くていねいにするように心がけます。これだけで坐禅になります。
 これをイスですれば「イス禅」、立ってすれば「立禅」、歩きながらの「歩行禅」、横になれば「仰臥禅」…全部、坐禅です。坐禅は、その気さえあれば、いつでもどこでも誰でもできるのです。せっかく人としてのいのちを授かり、そして、幸いにも、「今」を生きることを許されているこの体と心。上手に調律して、このいのちを活かして使わなければ申し訳ないではありませんか。
 まずは楽な坐禅から。仕事の合間に一度大きく深呼吸する「ひと息禅」と、寝る前にお布団の上で少しだけ座る「プチ夜坐」がお勧めです。今日の一日を振り返り、感謝の思いを込めて。
 

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

夜   坐  (やざ)