「富士ニュース」平成23年12月20日(火)掲載

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Meiso Jouki

  歳晩のこの時期になると心がけている作業があります。それは、家内の父親の墓所に行き、墓石の周りに青竹でささやかな柵を作ることです。
 準備はまず、寺の竹藪に入ることから始まります。適当な太さ、若さ、節の具合を見比べ「これぞ」と思う数本を選んで切り、川で洗います。自然の中で育つ植物ですから当然なのですが、風雨にさらされた竹は意外に汚れているのです。境内を流れる湧き水に浸してていねいに洗うと、くすんだ竹が見違えるように鮮やかに変わります。煩悩妄想が強くて自分の本当の姿(=仏さま)が隠れていることの多い私のようだなぁと、いつも思います。
 冷たい水に手を浸しながらの作業中に浮かぶのは、義父の面影です。私に向けてくれたさりげない言葉の数々や、仏教談義、人としての道…大人の男同士で共有した時間の場面がぽつぽつとよみがえり、「おかげさま」の心に満たされると、洗う手に自ずと力がこもります。
 切りそろえた竹を車に積んで墓地に向かうと、今度は組み立てです。古い柵を抜き取り、木槌で新しい支柱を打ち込みます。鑿で受けを切り取り、おさまり具合を微妙に調整して、紐で縛って完成。手先の器用な義父でしたから手は抜けません。

 作業のゴミをきれいに回収し、墓石ともどもたっぷりと水をかけて花を供え、お線香を立てると、なんともすがすがしい思いに包まれます。
(よかった。今年もささやかなご恩返しができた)と、合掌しながらしみじみ安堵する私です。
 もう十年以上続く、暮れのご挨拶。お墓も、そして私の心も浄らかになったとき、「今」の義父の姿に一瞬思いが巡ります。
(きっと、こんなすがすがしい浄土で、毎日暮らしているのだろうなぁ。仏さまの教えをゆったりと聞きながら)…と、浄土に暮らす義父のイメージが重なるのです。
 仏さまの世界である「浄土」。数ある中でいちばん有名なのが、阿弥陀さまの「極楽」です。もちろん観音さまもそこにおいでだと仏典は説きます。美しい花に囲まれ、妙なる音楽が流れ、暑すぎず寒すぎず、衣食住の心配もない。生きることになんの不安もないその極楽で、仏さまの教えに耳を傾けながら「悟り」のための日々をゆったりとすごす場所です。生前、仏さまの教えに親しみ、仏さまの世界を心から信じる人が導かれる世界です。
 若い頃から仏縁の深かった義父のこと。必ずや浄土で心安らかに暮らしていると、私は信じています。

 私たちは、時として目の前の現実の姿から、見えない世界をイメージし結び付けていきます。目の前のお墓がきれいになっていれば…そして、よく掃除されたお仏壇に花やお菓子が供えられていれば…(ご先祖さまはきっと、こんないいところで安心して過ごしておいでなのだろうなぁ)と、こちらも安心するのです。
 みなさんも、こんな思いで、ご先祖さまへの「暮れのご挨拶」をされてはいかがですか?

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

暮れの御挨拶