「富士ニュース」平成23年10月25日(火)掲載

160



Meiso Jouki

「…よく、こんなになるまで読まれましたねぇ…お経の本も喜んでいますよ。奥さん、えらいですね、本当によくご供養されていらっしゃるんですね、立派です」
 目上の方に「えらいです」「立派です」なんて失礼な言い方だと思いつつも、その経本があまりにもよく使い込まれていたのに感動した私は、言葉を選ぶこともなく、ついストレートに褒めてしまったことがあります。夏の棚経の折、お仏壇の脇で、その檀家さんの経本に気づいたときのことです。
 
実は、こういう感動は二度目でした。以前、寝たきりになってもベッドの上で毎日お経を読み続けられた方の経本に感動して、同じように褒め、「ご褒美に」と、新しい経本を届けさせていただいたことがありました。まさに住職冥利に尽きる、うれしい姿です。
「ちょっと見せていただいていいですか?」
 ボロボロの表紙の経本を恐る恐る開いてみると、中は想像したとおりでした。紙はすっかり変色し、小さく破れたり、セロテープで補修してあったり、ご苦労の後が随所にしのばれます。
「毎日、お経を読まれているんですね?」
 そう尋ねると、ご婦人は少しはにかみながら、
「朝と、それから夕方と。四十分くらいでしょうか、お勤めさせていただいています」
「ていねいですね…どのお経を上げられるんですか?」
「昔、和尚さんに教えていただいたように、前から順に、まずは…」
と、説明を聞き、三番目くらいだったでしょうか「その次は『マカハンニャさん』です」と、その奥さんはおっしゃったのです。

 一瞬、何のことだろうと戸惑ったのですが、なんのことはない『般若心経』のことだと気づき、その直後にどきっとしました。このご婦人が、お経の題のひとつひとつを、ていねいに「さん」付けで呼んでいることに気づいたからです。
 通常、私たち和尚はこのお経『摩訶般若波羅蜜多心経』を、略して『般若心経』とか、ただ『心経』と呼びます。当たり前のように呼び捨てにしています。別にそれはそれで何も悪いことではないのですが、そのご婦人の『マカハンニャさん』という呼び方に比べると、なんだかとても傲慢な呼び方のように思えてしまったのです。

 そういえば以前、研修会の時に、このお経を読むときに、合掌しながら読むよう指導するか否か、ということが話題になったことがありました。
 和尚は習慣的には合掌はしないで読むお経なのですが、一般檀信徒の方は、自然に合掌して読まれることが多いのです。おそらくそれは、(ありがたい『お経さん』をお唱えするのだから、手を合わせよう)という、すなおな心の表れ以外の何ものでもないのでしょう。
 お経というものは、本当にありがたいものですが、私たち僧侶はあまりにも日常的に読み過ぎて、慣れっこになってしまっているのかもしれません。
 ふと出会う檀家さんのこうした謙虚な信心のお姿ひとつひとつに、私たちも学ばせていただくのです。
 みなさんにも、日々お唱えするお経がありますか?
 

おはなし 目次に戻る
明窓浄机

文・絵 長島宗深

マカハンニャさん