「富士ニュース」平成23年8月30日(火)掲載

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Meiso Jouki

 緑濃き妙善寺の境内の一画に、大きな記念碑が建っています。
『観音堂記念碑』と刻まれたその石碑の文字をたどっていくと、この地に最初に観音堂が建立されたのは、なんと七九四年…天平年間のことだそうです。
 当時、天災や飢饉に苦しむ日本の人々を救うために奈良・東大寺に大仏が造られたのは有名ですが、その建立のために尽力された僧・行基さまが、全国の八十一か所に建立された観音堂の一つが、この滝川のお観音さんなのです。
 以来、千二百年もの間、この高台にあって、私たちを守り続けてくださっているのが、この「滝川のお観音さん」です。ご本尊に安置されている霊験あらたかな千手観音さまを頼って、毎日参詣の方が見えます。
 私がこの寺の住職になって二十年。このお堂にお参りされるさまざまな方と出会いました。

 いまはもう故人となりましたが、八十歳半ば過ぎるまでの十数年間、一日たりともお参りを欠かさないおじいさんがおいででした。毎日、バイクで来ては軽やかにお堂の階段を上がり、立ったまま短い『観音経』を何度か唱えます。一体、これまで何万回唱えられたのか。よくこなれた、なんともいえない温かみのある節回しで、気持ちよさそうに誦まれるのです。そうしてその日の勤行を終えると、ふっと表情をゆるめ、ニコニコ満足げに帰っていかれるのでした。
(観音さんも、こんなふうに何度も何度も名前を呼びかけてもらえたらきっと嬉しいだろうなぁ)
…そう思いながら、観音さんの慈悲のふところに、すっぽりと包まれているようなそのおじいさんの後ろ姿を、しみじみ拝ませていただいた私です。
 そんな姿を何度も垣間見た私も家内も、そのたび口癖のように「あのおじいさん、いつもいいお顔だね。なんだか観音さんみたい。どんどん観音さんみたいになってくる。私たちも、いつかあんなふうになりたいね」と、つぶやくのでした。
 また、これもよくお参りされるある女性は、
「お観音さんは、ほんとうにありがたい。いつもいつも守っていただいて、ほんとうに、ただただありがたいよ」と、そう言いながら、背を丸めて手を合わせるのが常です。信ずる姿の美しさ、とことん信じきる心の強さ、というのでしょうか。いつお会いしても、心洗われる思いです。

 この観音さんの前で祈る人の姿はさまざまです。祈る中身も、ご事情もさまざまでしょう。でも、観音さんは、それがどんな願いでも、黙ってお聴きくださり、なんとか私たちの「心」を救おうとしてくださるのです。
 この秘仏・千手観音さまのご開帳の日が近づいてきました。年に二回だけ、私たちの前に姿をお見せになり、その慈眼でみそなわしてくださいます。
 よろしかったら、どうぞお参りください。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

滝川のお観音さん