「富士ニュース」平成24年2月21日(火)掲載

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Meiso Jouki

「禅宗の修行は、天地とわれと同根、万物とわれと同一体となるための修行じゃ!」
…録音とは実にありがたいものです。昭和の名僧・山本玄峰老師が、五十年以上前に修行道場で雲水を導くために示された「提唱」(講話)の一部が今に伝えられています。
 全身全霊、気迫をふりしぼっての絶唱からは、何としてでも雲水の修行を成就させたいという強い願いと、どこまでも大きな慈悲心が伝わってきて、半世紀を隔てた今の私の魂をも激しく揺さぶるのです。
 このテープの中に、こんな一節があります。
「人間、始まりは実にいいものじゃった。ところが智慧の動物に生まれたものじゃから…物を利用して何から何まで一切自由に活かして使っていく智慧がある代わりに、人間ほど悪いことをする動物もない」

 このテープを聞きながら、ふと「共命鳥」という仏教説話を思い出しました。古いインドのお話です。
 その鳥は、一つの身に人間の顔を二つ持つという不思議な姿をしていました。たくさんの共命鳥が暮らす中、とりわけ声も姿も美しい一羽の共命鳥がいたそうです。それぞれの顔がひときわ美しいことから、ある時お互いに「自分こそ最も美しい」というこだわりが生まれて喧嘩になりました。やがて一方が「相手を殺せば自分が一番になれる」という企みを思いつき、とうとう毒を盛って殺してしまうのです。「これで自分がいちばん!」と喜んだのも束の間、毒は自分の頭にまで回り、命を落としてしまうというお話です。
(何と愚かな…)と、この共命鳥の浅はかさを笑うことが果たして私たちにできるでしょうか。
 私たちは時として、自分の都合ばかりに目がいき、それを優先させようとして、他人を傷つけてしまうことがあります。傷つける相手は人間ばかりではありません。自然界のあまたの生き物や環境を破壊します。まさに「人間ほど悪いことをする動物はない」のです。
 先の大震災による原発事故の影響で、自然界の多くの命がおびやかされています。そして未だに汚染された地域の自然がよみがえるめどは立っていません。私たちは自然界の一部であり、自然は私たちと同体です。すべての命はつながっていて、お互いに生かし生かされています。それなのに私たちは、まさに自らの体に毒を盛る愚をおかしてしまったのです。
 こんな私たちに何ができるのか。これ以上毒が回らないようにするにはどうしたらいのか?何から始めたらいいのか?

昨年、私の属する臨済宗妙心寺派では原子力発電に頼らない社会の実現をめざし、お釈迦さまの教えである「知足」(足るを知る)をスローガンとして、節電・節水・節油など、私たちにできる活動を呼びかけ始めました。利便性や経済性のみを追求することなく、安心して自然界の多くの生命と共生できる持続可能な社会作りのために。
 あなたもぜひ、自分にできる小さな活動から、始めてみてはいかがでしょう。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

知足(ちそく)