「富士ニュース」平成24年1月24日(火)掲載

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Meiso Jouki

妙善寺の本山である京都・妙心寺では、昨年、寺族を対象に、傾聴ボランティア養成講座を開催しました。その中で私は、相手に寄り添って話を聴くことの難しさを実感しました。

 講師の指示で始まった「役割演技」では、「話し手は、最近感動した話をしてください。聞き手はできるだけいい加減に聞くよう、努力して演技してみてください」と、疑似体験を通して、実際に傾聴するときに適切な対応ができるようにする学習方法を体験しました。
受講生が話し手と聞き手に分かれて、それぞれの役割を演じるのです。

最初に私は話し手でした。写真が趣味だという聞き手の彼が喜びそうなテーマを選び、一生懸命伝えたのですが…。彼は見事に「嫌な」聞き手を演じてくれました。
「先週、奈良に行ったんです。広大な平城京跡の野原の上にどーんと広がる晩秋の青空。そこに幾筋もの雲が、すーっとね。いやぁ見事でした。ああいうのどかで雄大な景色はほかにないですね」
 身振り手振りをフル活用、加えて表情豊かに伝えようとする私の方を、あえて全く見ようとしない彼。
「(だめか…では…)斑鳩の里までサイクリングしたんです。道の両側は満開のコスモス畑。その時、ちょうど日が西に傾き始めていてね、夕日の中に、シルエットで…こうぴたっと三重塔が浮かんだんですよ。もう、感動して、何枚写真を撮ったことか!」
 一気に話した私でしたが、彼はそっぽを向いたまま。うつろな目で何度も時計やケータイを見ます。興味を示すどころか、無表情のまま相槌さえも打たない。返ってくる言葉は「ふぅん、どうしてそんな景色に感動するんですか」と素っ気ない。
 わずか数分なのに、なんだか話すのがばかばかしくなるような空しさを感じ、その人がとても嫌な人に思えてしまいました。(本当はいい人なんだろうに…無理して演じてくれているんだろうなぁ)と気の毒になりましたが、次に一転、「傾聴モード」で聴いてもらったときには(ああ、こちらの話をくみ取りながら聴いてもらうことは、こんなにも心地良いものか)と救われる思いでした。もちろん話も弾みました。
 極端なお芝居とはいえ、聞き方一つでこんなにも話し手の気持ちが左右されるものなのだ、と、しみじみ実感した私です。

講座のしめくくりに、傾聴のポイントが示されました。
@相手の話を無条件に聴く 
A相手の気持ちを共有する努力で聴く 
B相手の話を否定せず聴く
…「しまった!」と思い当たることばかりでした。ふだん説法を仕事とする私は、つい、すぐなんとかしてあげようと、「聴く」前に、アドバイスをしがちだったからです。
 昨年紹介しましたが、震災被災地では傾聴ボランティアがますます必要になってきていると聞きます。そばに寄り添い、言葉に耳を傾ける…聴きながら本人が自分で結論にたどり着くようにサポートしていく。私にはとても難しいことに思えるのですが、そんな私でも、誠実に向き合うことで、「苦しみ」を背負う方たちのお役に少しでも立てるのであれば、これからも傾聴の勉強を続け、また被災地を訪れたいと思っているのです。

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明窓浄机

文・絵 長島宗深

傾聴講座