「富士ニュース」平成15年12月2日(火)掲載

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Meiso Jouki

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 ちょっとした日本語ブームのようで、本屋さんに行くと、古典を中心に日本語の美しいひびきを取り上げた本がずいぶん目につきます。

 みなさんは『寿限無』という落語をご存知ですね?
 最近は朝夕の子ども番組で放映されているせいか、まだろくに日本語も話せない幼児が、テンポよろしく早口で「ジュゲムジュゲム ゴコウノスーリキレ カイジャリスイギョノ…」と、得意げに競うほほえましい姿も目にするようになりました。

 このお話は、長屋の熊五郎さんが、長男に素敵な名前を付けようと和尚さんに相談したところ、「こんなのはどうじゃ?」と挙げられた言葉がことごとく気に入ってしまい、全部つけてしまったという、おなじみの落語です。
「寿限無」は、寿(年齢)限りなしで、死なないこと。
「五劫のすり切れ」は、とても長い時間のこと。
「海砂利、水魚」海のジャリや魚の数は膨大で、取り尽くせないから、めでたい言葉です。
「水行末、雲来末、風来末」…水・雲・風の行く末は果てしがない、これもめでたい言葉です。「食う寝る所に住む所」衣食住のうち、一つ欠けても困るから、つけておきましょう…と、縁起のいい言葉が次々に続き、しめくくりは長生き(長久と長命)で、長く親を助ける「長久命」の「長助」と結ばれます。
 親心とはいえ、なんとも欲張りな名前ですね。

この中の「五劫のすり切れ」は、実はお経の中に出てくる、長い時間のたとえなのです。
 四方見渡す限りの高い岩壁があります。硬い岩です。そこに、空の上からの天人が三千年に一度下りてきて、やわらかい衣の袖でさっと岩をひとなでします。
 どんな硬い岩でも、なでられればかすかに減るはずです。これを続けていって、大きな岩山を全部平らに磨り減らしてしまうのにかかる時間を、「劫」といいます。

 気の遠くなる話です。
 そしてこの「劫」が一億集まると…「億劫」。
 おっくう、と読むのはご存知のとおりです。想像するのもはばかられるほど「億劫」な話です。

 私たちが、こうして人間に生まれてくるチャンスは、この「劫」に一度あるかないかなのだ、と仏教では説いています。そんなめったにないチャンスを得て、私たちは生かさせていただいているわけです。
 人間として「有ること難い(難しい)」だから、すでにそれだけでもう十分「ありがたい」のだと。
 それなのに、そのことにちっとも感謝せず、むしろ次から次へと限りなく欲ばかりかき、その結果、自分で自分を苦しめてしまっているのが私たちなのです。

 十二月八日は、成道会。
 人間に生まれたお釈迦さまが、生きる苦しみの中で、人間のまま悟りをひらかれて仏になられた日です。
 四苦八苦と言われる苦しみから離れて、私たち誰もが、明るく幸せに生きる道に、はっきりと気づかれた、お祝いの日なのです。

明窓浄机

じゅげむじゅげむ