「富士ニュース」平成16年3月9日(火)掲載

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Meiso Jouki

  妙善寺は、とても木の多いお寺です。
 桜を始め、木々が見せてくれるさまざまな表情は、訪れる人々の心を四季折々に和ませてくれます。
 
そんな大切な木を、何本か切ることになりました。道端で大きくなりすぎたり、また、中に虚ができて危険になったからです。しかたありません。
 神酒を供え、塩と洗米で清め、伐採をしました。長年の感謝を込めて、何度も観音経を唱えながらの三日間でした。

 その作業を見守る中で、私は木との付き合い方を教えていただきました。
「だめだ和尚さん、横の枝ばっかり切ったら。木がどんどん大きくなっちゃう。気がつきゃ、もう切れなくなってるら? 上を止めとけば、あとは横に枝が自然に伸びるもんだよ」
 重いチェーンソー片手にするすると木に登り、鮮やかな手さばきで伐採に当たってくれたその人…私たち家族が尊敬をこめ、秘かに「きこりさん」と呼ばせていただいた人からのアドバイスです。

 実は私は、昔から木が大好きでした。
 カメラに夢中だった頃は、木の表情ばかりを撮り続けていました。木に関する本を集めたり、天然記念物の巨木を訪ね歩いたりしました。
 そんな私なのに、実は木の手入れのことは何も知らなかったのです。植えるだけ植えて、あとは切りやすい枝だけを整理しては、手入れした気になっていたのでした。
 そんな私のでたらめな管理ぶりを見かねて、きこりさんは桜の枯れ枝を取り払ってくれることになりました。
 木に登ったきこりさんが、先に鈎手のついた長い棒を使って遙か頭上の枯れ枝を引き寄せると、ポキンとおもしろいように折れます。ちょっと太い枝は、地上からロープで引いておいて、最後は下で手伝う仕事仲間が重みをかけて折ります。
 このときは大変です。ぽきんと折れた瞬間に、「それっ!」と、みんな一斉に逃げるのです。落ちてくる枝に当たらないように、真顔で逃げるのです。私も幹の後ろに隠れます。「おー、あぶにゃぁ」と笑いながら戻る仕事師さんを案ずると、「なあに、もし当たったら宝くじでも買いに行くさや」と、楽しそうです。
 全部終わってみたら、私でも届くところの枝が一本残っていました。一人がそれに気づいて片づけようとしたので、私が「あとで自分でやるからいいですよ」と制すると、きこりさんはにやりと笑って、
「見てると自分でもやりたくなるもんさや。あーすりゃいいって、見るまで気がつかにゃぁもんだよ」
…どうやら興味深げな私の視線を察して、初心者用?の一枝を残しておいてくれたようです。こんな枯れ枝の手入れも、木にとっては嬉しいことなのだと。
 最後にきこりさんは、「和尚さんは、どうやら木が好きみたいだから」と、切り倒した幹から丸太椅子を刻んでくれました。まるでお豆腐でも切るようにあっさりと。
 それを眺めながら私は、
(木はやたらに大きくしたら、全部切らなきゃならないよ。手入れをしてやれば、木も長生きできる。大事にしてやんな)
 そんなきこりさんの声を感じていました。

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明窓浄机

きこりさん