「富士ニュース」平成16年5月4日(火)掲載

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Meiso Jouki

  三島・龍澤寺山門下。
 鬱蒼と茂った杉木立の中、ぼんやりと苔むしたお地蔵さんが、穏やかな微笑をたたえて佇んでいらっしゃいます。
 こうしてしみじみお参りするのは、何年ぶりでしょう。
 このお地蔵さんの足元の蓮台のまさにここに、小さな木札が立てかけられているのを見つけたのは、そう、八年前の新緑のころでした。

 当時の私は、四十歳を越え、遅ればせながら、禅の修行道場に入門したばかりの雲水でした。三人の子どもと、母、家内に寺を託して、一年間の修行生活を始めたところだったのです。

 ある日の午後、作務の合い間の休憩時間に、先輩雲水が話しかけてきました。
「深さん、子ども、何歳や?」
「この春、六年生、四年生、一年生になりました」
「そうか、そういえば今日なぁ。山門下のお地蔵さんのところに、『おとうさん がんばれ』、って、細長い木に、こう書いてあってな。ちょうど、一年生ぐらいの字やろな。おとうさん、病気かなんかやろか。わし、それ見て、じーんとしてしもてな」
 そう言うのです。
「そうですか…」と聞きながら、私にはピンとくるものがありました。
(息子? そうだ!息子かもしれない)
 入門当所の道場は、「禁足」といって、周りの世界との連絡は絶たれます。私には家族の消息はわかりません。家族にも、私の消息は一切わかりません。不安と心配で押しつぶされそうな中、互いの身を案じて日々を送る、ちょうどそんな矢先の出来事でした。

 その夜。
 月明かりを頼りにこっそりと抜け出した山門。音を消すために裸足になって急な石段を降り、お地蔵さんに近づいてみました。
(あった!) 
 確かにお地蔵さんの足元に、ちいさな板切れが立てかけてあります。おそるおそる手にとって見ると、
 見覚えのある平仮名で、
 習いたての平仮名で、
「おとうさん がんばれ」
と、書いてありました。そして裏にはしっかりと息子の署名がしてありました。
(たぶん会えないかも。でも、もし万が一、お父さんに会えたら、手渡そう)…息子は、そんな思いを込めて、木の板のお守りを作り、家族と一緒にこっそり私の様子をうかがいに来たのだと、後で知りました。
 父親に手渡せなかったお守りとエール。お地蔵さんは、息子の心を、私の元に、確かに届けてくれたのでした。
 今、息子は私の背丈をとうに越えました。おそらく、この板切れのことだって、もう忘れていることでしょう。
 でも私は確かに、この一枚の板切れに支えられて、一年間を乗り切ることができたのです。

 親というものは、折にふれ、大なり小なりこうして子に励まされながら、親でありつづけるものなのかもしれません。
 明日は『こどもの日』。
 日ごろ見落としがちな子どもたちからのエールを受け止めて、向き合ってみませんか?

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こどもの日