「富士ニュース」平成16年4月6日(火)掲載

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Meiso Jouki

 「お父さん、今日学校で、スリランカのお坊さんの話を聞いたよ。
 お坊さんは午後は何も食べないし、結婚もしないんだって。村の子は樹の下が教室だから、雨だと休みなんだって」
 よほど印象深い話だったのでしょう。矢継ぎ早に話す息子にうんうんとうなずきながら、私もそのお坊さんに会ってみたくなりました。

 ご存知のように、インド生まれの仏教は、中国・朝鮮半島から日本に伝わった「大乗仏教」と、東南アジア中心に広がった「上座仏教」とに分かれます。インドの南の島国スリランカは、今も、お釈迦さまが定めた通りの規律ある生活を守る上座仏教の国なのです。

 翌日、さっそく滞在先を訪ねてみると、現れたのは、エンジ色のパーカーを着た小柄な青年でした。くりくりした大きな目で人なつっこく笑いかけてきます。
「こんにちは。ウディタ、といいます」
 突然の訪問もいとわず、ウディタさんは流暢な日本語で応じてくれました。日本のお坊さんに会いたかったというのです。
 十二歳で出家し、家族と離れてお寺に入った彼は、十六歳からもう村の日曜学校の先生となり、いま二十三歳。
 貧しい人や苦しんでいる人々の話を聞いたり、困難な人々の役に立つことが喜びで、人が幸せになることがいちばん好きだと、目を輝かせて話してくれました。

 私は、ウディタさんと向かい合っているうちに、どうしても彼の口から直接聴いてみたいお経のことで頭がいっぱいになりました。南の仏教に伝わるお経『慈経』です。
「一切の生きとし生けるものが幸せでありますように」
と願い、そのためには、
「人を欺かず、軽んぜず、怒りを抱かず、他人を苦しませようと望んではならない」
と説くお経です。
「母が、命の限りわが子を護るように、一切の生きとし生けるもの、また全世界の人々に対して、限りない慈しみの心を起こすべし」
と説くお経です。私の大好きなお経です。ぜひ一度、お釈迦さまが話されたというパーリ語で聞きたいとあこがれていたお経です。
 懇願する私の願いを聞き届け、すっと居住まいを正すと、彼は、ゆったりと唱え始めました。
「マモォー、タトゥ〜バグブトオォ〜。アルハトォ…サンマァ、サンブッダ〜ッ…」
 不思議な旋律、心地よい声の響きに引き込まれながら、私はウディタさんが最前口にした言葉を反芻していました。
「仏教は二千五百年の間にたくさんの教えができました。でも、大切なことは、『私の口から悪いこと言わない。私の頭で悪いこと考えない。私の体から悪いことしない』この三つだけです。大切なのは、人にやさしくすることだけです」
 それは、私よりもはるかに年若いこの青年僧が、真っ直ぐに私の目を見据えて、諭すように伝えてくれた言葉でした。
 日本の仏教でも尊ばれているこの三つの教えが、スリランカでもいちばん大事なのだという言葉を耳にして、私はたまらなくうれしくなりました。仏教の形は違えど、大事なことはやっぱり同じだとわかったからです。
 そんな、スリランカのお坊さんとの幸せな出会いでした。
 

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明窓浄机

スリランカのお坊さん