「富士ニュース」平成16年7月27日(火)掲載

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Meiso Jouki

 「おまえ、何か、しでかしたのか? 老師がお呼びだぞ。後で本堂に来るようにと!」
 禅の修行道場に入門してまだ間もない頃のこと。駆け寄って来た先輩修行僧が、血相を変えて、怒ったようにこう告げるのです。
 老師、というのは、修行道場の先生です。学校で言えば、校長先生クラスの方です。私がお世話になった道場の老師は、めったに私たちの前には姿を現さない方でしたので、身におぼえのない私はうろたえました。
(いったい何をしてしまったんだろう? こわいなぁ…)

 混乱した頭で、言われた時間に、恐る恐る本堂に入ってみると、そこには、広い本堂にぽつんと一人、しゃがみこんで半紙を折る老師の姿がありました。
 明日の法事のためにしつらえられた祭壇に具える、お供物用の半紙を折っておられたのです。
 そんなことは修行僧の仕事です。わたしは即座に「老師、私がやります」と手を出すと、「そうか、深さんはやったことがあるわな。そんならやってみい」と老師。
(半紙を少しずらして三角形に折るくらいなら私にもできる)と慎重に折ると、「ほぉ、なかなかうまいもんやな」と言いながら、老師はもう一枚半紙を取り出すと、自ら折って見せながら、
「ええか。禅は、威儀即仏法。『信は荘厳より起こる』といってな、こういうことはぴしっとやらないとだめですよ。だらしなく折ってあると、それだけで逆に信は損なわれるもんじゃ。仏具も真ん中の芯がぴしゃっと揃うように、どこから見ても揃うように、きっちりと並べなさいよ。檀家さんがそれを見て、ああ気持ちがいいなぁ、すがすがしいなぁ、ありがたいなぁと感じるように飾るんじゃぞ。いいか?」
 それだけおっしゃると、「後はあんた、やっておきなさい」と、本堂を出て行かれたのです。
 遠のく老師の背に向かい、畳に額をつけて礼をし続けながら、私はありがたさで胸がいっぱいになりました。私にそのその一言を伝えるために、老師はわざわざ、この場をしつらえてくださったのです。

 この程度の三角形を作ることなら、本当は誰でもできます。でも、老師の目の前で作るのは、とんでもない緊張感に包まれてのことでした。
(ずらす幅はこれくらいでいいのか、左右どちらを前にするのか。きちっと折れるかなぁ、曲がったら困るなぁ)と案じながらも、いざ「えいやっ」と折ったときは、全身集中の固まりになって臨んだ一瞬でした。
 老師がおっしゃった「信は荘厳より起こる」という言葉は、「正しい信心は、まず自分の内外を正しく整頓することで芽生える」という仏教の教えであることを、後で知りました。
 真剣に紙を折ろうとすれば、おのずと自分の心も調い、願いと思いがこもった、ありがたい祭壇になる。 
 これは、神といわず仏といわず、尊いものを祭ることにおいて共通した心構えではないでしょうか。


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明窓浄机

信は荘厳より起こる