「富士ニュース」平成16年8月24日(火)掲載

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Meiso Jouki

 先日、本山で、小学生の得度式のお手伝いをしました。これは、仏教徒入門の儀式です。
 素足に、真新しい白衣一枚の小学生が、心細げに仏前に並びます。青々と剃り上げられた頭、緊張した面持ちを見ていると、ちょっとかわいそうになります。
 その子どもたちの前で管長さまは、十人の仏さまがこの儀式を見届けてくださるよう祈られた後、『四つの恩』に対して拝(五体投地の礼)をすることを命じるのです。 

「三宝(仏法僧)の恩」は、お釈迦さまの教えで本当の自分に目覚めさせていただけることへの感謝です。「国土の恵みの恩」は、地球、自然、国の恵みへの感謝。「衆生の恩」は、すべての生き物への感謝。そして「父母の恩」は、親に産み育ててもらっていることへの感謝です。
 いかに多くの「おかげさま」の働きで、私たちがこの命を生かさせていただいているか、と、厳粛な心持ちになります。

子どもたちの家族は、この式の様子を会場の片隅でずっと見守っているのですが、その席は、横一列に長く伸びています。最後の「父母の恩」の拝の時には、子どもたちはそこに移動して、それぞれの親の真正面で、拝をつとめるからです。
「今まで大事に育ててくださった、お父さん、お母さんに対して、感謝の拝をしてください。父母はその拝を、合掌して受け取ってください」
 司会の指示に従って、沈黙のうちに両親の前で拝が始まります。身も心もそのすべてを投げ出す五体投地の拝というのは、通常は仏さまに対して捧げられる最上級のあいさつなのです。
 ほとんどのお父さん(和尚)は、感慨深げながらも、禅僧らしい合掌で厳粛に応対します。
 一方、その肩越しのお母さんがたの表情は複雑です。涙ぐむ姿も見えます。無理もありません。本来は、これを機に「出家」する儀式なのですから。いくら善いことだとわかっていても、まだ年端もいかぬわが子からの改まった拝に、なんだかわが子が遠く離れていってしまうような寂しさをおぼえるのかもしれません。

 得度式はこの後、管長さまの手による仕上げの剃髪を経て、初めて黒衣に足袋、そして絡子(簡単なお袈裟)が許され、仏弟子としての名前をいただきます。
 こうして正式な僧侶の姿になり、誓いのお経を唱えて、小さいながらも見違えるほど立派な「お坊さん」が誕生するのです。

 比奈の竹採公園にお墓がある江戸時代の禅僧・白隠禅師は、少年時代に受けたこの得度式で、師匠から「三顧の摩」を教えられたといいます。剃った頭をなでる(摩)たびに、いつも三つのことを反省して顧なさい、と。
 まずは、「何のために頭を剃ったか」。次に「頭を剃った以上、何をすべきか」。そして三つめは「何ができたら頭を剃った意味が完了するか」。
 この夏休みに誕生した清々しい子どもたちの得度姿を前に、あらためて「三顧の摩」の教えをかみしめた私でした。



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得 度 式