「富士ニュース」平成31 年3月掲載

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Meiso Jouki

■ 先月、スーパーボランティア尾(お)畠(ばた)春夫さんにお目にかかりました。

 山口県で行方不明になった二歳児をあっという間に捜し出して一躍有名になった方です。それまでにも全国各地の被災地でのボランティア活動を長い間続けられてこられたことはマスコミでも紹介されているので、ご存じの方も多いでしょう。

 今回、尾畠さんが、東京から大分まで徒歩で帰る途中、偶然にも対面する機会に恵まれました。
 小雨の中、歩道橋の下でどなたかと談笑していた尾畠さんは、テレビで観る以上に、明るく、元気で、声の大きい方でした。
 声をかけると、にこにこしながら快く記念撮影に応じてくれました。いざカメラに収まろうとしたとき、尾畠さんから檄(げき)が飛びました。

「もっと胸を張って!
もっと!」  

 おもわず背筋がぴんと伸びて、心がしゃきっと立ち上がるような、厳しくも温かく、何よりも力強い激励に聞こえました。知らないうちに背中が丸まって、しょぼくれた姿になっていたのかもしれません。それは寒さのせいかもしれませんが、そればかりではなく、生き方にも気合を入れてもらったようでした。 道行くさまざまな人たちとの出会いをたのしみながらの帰路。その道中があまりにも話題になり、人気が出すぎて交通渋滞まで起きてしまったため、二月末に断念して迎えの車で大分に戻られたそうです。でもきっと、これからも別の場所で、まだまだ新たな出会いは続くことでしょう。

 私との撮影の直後、別の男性がビニール傘とマジックを手に現れ、そこにサインを頼んでいました。するとびしょ濡れのベンチに座り込み、それはそれは真剣に、字を書き始めたのです。芸能人なら数秒ですむところでしょうが、尾畠さんの場合、そうはいかないようです。色紙代わりの傘を拡げ、そこに伝う雨を自らのタオルでぬぐいながら、三つの言葉を書きました。

 ○○さん 絆(きずな)

「朝は必ず来る」

「継続は力なり」

「一(いち)期(ご)一(いち)会(え)」


無骨な文字です。でもそこに魂を込めていることは、さっきまでの笑顔の消えた真剣な横顔から伝わります。これまでの体験から得た尾畠さんの真実のひとつひとつを、相手に誠実に手渡そうとしているように感じました。

 尾畠さんは六十五歳の時、思うところあって生業である魚屋を閉め、ボランティア一筋の生活を決意したそうです。その理由が、「学歴もなにもない自分がここまでやってこられた。これからは社会に、人に、恩返しがしたい」からだったといいます。以来十四年、七十九歳の今も、ほとんど身ひとつで野宿を重ねてひたすら世の中に恩返しをしています。仏教者からすると、こういう方を菩薩と呼ぶのでしょう。わが身と引き比べ、恥じ入るばかりです。

 別れ際、握手をしてくれた尾畠さん。なんともごつごつした掌でぎゅっと握られた時、その背後のリヤカーに立てられたオレンジ色幟(のぼり)の文字が目に留まりました。 
「世界のこどもたちの幸福をねがう旅」。
 尾畠さんのような生き方はとてもできないけれど、せめてこの願いに連なる生き方を、「世界のこどもたちの幸福をねがう生き方」を、自分なりに心がけていきたい、そんな思いが芽生えたうれしい出会いでした。

文・絵 長島宗深

一期一会

明窓浄机

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