「富士ニュース」平成16年11月16日(火)掲載

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Meiso Jouki

 「あんた、どこの子だね?」
 この寺に家族で移り住んでまだ間もない頃、見知らぬおじいさんにこう尋ねられた六歳の長女は、とっさに、
「お観音さんの子!」
そう答えたそうです。

 妙善寺は昔から『滝川のお観音さん』として親しまれています。ですから娘の返事はごく自然なことだったのですが、この経緯を知った私たち夫婦は、娘のこの表現に、ささやかな感動を覚えました。
(お観音さんの子…か。いい響きだなぁ。きっと親がわが子を守るように、お観音さんがその懐で私たちを守ってくださるんだろうな)
 そう思うと、これから長いこと家族でお世話になるであろうこの地に、大きな安らぎを覚えたのでした。

 以来、十数年…。
 私たちはお詣りの絶えない由緒ある千手観音さまの堂守りを務めさせていただきながら、さまざまな方たちのお詣りの姿にふれてきました。
 二十年近く毎日通ってきては、十句観音経を唱え続けられた方。出勤前に仕事着姿で必ず立ち寄っていかれる方。お散歩の途中で手を合わせていかれる方…。
 合掌に込められた願いはさまざまでしょうが、お詣りの後にみなさんが一様に浮かべる安堵の表情を見る度に、(ああ、観音さまに願いを受け取っていただいたんだな)と、こちらもほっとするのです。

 実は、願いをかけているのは、和尚である私も同じです。
 毎朝の勤行では、激しく太鼓を叩きながら、「観音さま、観音さま」(観世音、観自在菩薩)と、何度その御名に呼びかけることでしょう。
 そして最後に、弾む息を調えながら心静かに念ずることは、まずは守っていただいていることへの感謝であり、さらには願いごとです。
 まるで小さな子どもが、どんな願いでも叶うと信じて親に懇願するかのように、願いを受け止めていただける相手がいるということは、大きな安心なのですね。

 ここ数週間の私の願いは、新潟の地震で土砂災害に遭った真優ちゃんが一時も早くお母さんのそばに寄り添えるようにという願いであり、また、どうか地震が収まりますように、という切なる願いでした。
 ボランティアにも参加できず、テレビで報じられる惨状にただ心痛めることしかできない私にとって、朝の祈りだけが、自分にできる唯一のつとめなのです。

 観音さまは、「苦しみ悲しんでいる人をすべて、救いたい」という強い願い(誓願)のもとに、三十三の姿に化身して私たちを救ってくださると言われています。
 三十三というのは、限りなくたくさん、という意味。必要に応じて、求められるままに姿を変えて、私たちを救わずにはおかない、というのです。
 私たちはいつだって、観音さまの、この大きくひたむきな救いの手の中にすっぽりと包まれ、守られ、勇気づけられて、生かされている。
 私もまた、「お観音さんの子」なのです。

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明窓浄机

観音さんの子