「富士ニュース」平成17年1月18日(火)掲載

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Meiso Jouki

  新年の正月二日。
 三島・龍澤寺の朝。
 ぴんと冷気の張りつめた本堂でのおごそかな読経の後、突然、大勢の和尚さんの叫び声が堂内に一斉に響きわたります。
「ダァイ! ハンニャハラミタキョウ、巻、第…、唐の三蔵法師・玄奘、奉詔訳〜」

 雷鳴のような声が飛びかう中、和尚さんたちはそれぞれ目の前に積み上げられた経本を一冊頭上高く捧げ持つと、アコーディオンの蛇腹よろしく、パラパラパラと、右に左に正面にと繰っていきます。滝の流れの如きそのさまは、さながら龍が大空を翻るようです。
 正月三が日の恒例行事「大般若祈祷会」の勇壮な光景です。
 この日読まれる『大般若経』は、孫悟空で有名なあの三蔵法師が翻訳した、なんと六百巻の膨大な経典です。
 限られた時間に一人で全部読むことはとてもできませんから、大勢の和尚さんに協力してもらいます。それでもまだ長い時間がかかるので、くだんの「転読」という特別の流し読みの作法でつとめるのです。

 新年に当たり、国家安穏、五穀豊穣、病気平癒、火災他一切の苦厄除去、交通安全、家門繁栄、平安無事などをを祈る心でご祈祷は続きます。
「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー…」と小声で呪文(陀羅尼)を唱えながら一巻ずつ転読を進めますが、その巻の終わりにはいちだんと大声を張り上げて「降伏一切大魔 最勝成就!」と唱えられます。
 それは、一切の悪い心を取り除き、私たちに本来具わっている清らかな心に目覚めるよう努力しなさい!と呼びかける、慈悲の一喝なのです。

 今年のこの祈祷会には、家族も一人同行させていただきました。
 私は事前に「寒くないようにして、足は楽に座りなさいよ」と言い含めておきました。何しろ、暖房もない中、一時間にも及ぶ法要なのですから。
 祈祷が終わり、感想を求めると、
「すごい迫力だった! 感動しちゃった。足を楽にって言われたけれど、あの雰囲気に呑まれてくずせなかった。みんな正座したままだし…。私も『よし、今日は修行だ!』って心に決めて、がまんしたよ。足がしびれたけれど、来てよかった。すごくすがすがしくなった。また来たいなぁ。心にスイッチが入るよ」

 和尚さんたちが、あえて大きな声で祈るのは、このご祈祷が、目の前の限られた人たちのためだけにする、ちっぽけなものではないからです。ましてや、自分やその家族のためだけにするものではないからです。心を込めたお経が、祈りが、願いが、天地いっぱい、すみずみに行き届いてほしいと願うからなのです。
 だから、声の限りに、大きな大きな声で祈るのです。

「祈りましょう。
  大切な人のために。
 そして、生きとし生けるものの幸せのために」
 三十三間堂のご本尊・千手観音さまの『お祈りの言葉』(真言)にあった添え書きです。
 仏教の祈りとは、本来こういうものなのでしょう。

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