「富士ニュース」平成17年7月5日(火)掲載

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Meiso Jouki

 民話の里・遠野(岩手県)駅前の路上で、おばあさんが店開きをしていました。
 もろ箱を三つ置いただけのささやかなお店。一つの箱には、白、緑、紫、紺色…色とりどりの豆が、ほどよく小分けされて並んでいます。
 隣りは手作りお菓子。きめ細かでやわらかそうな大福、草餅、黒糖饅頭に加え、みちのく名物の餅菓子「切山椒」が出番を待っています。
 もう一つの穀物コーナーにある淡い黄色の小粒の名を尋ねてみました。
「これ何ですか?」
「ンナ○×!」
「? すいません、もう一度…」
「エナケベ!」
 正真正銘の東北弁です。
(だめだ、わからない。書いてもらおう)とメモを取り出したその時、
「これはイ・ナ・キビ」
 居合わせた女性が、はっきり教えてくれました。
「どうやって食べるんですか?」
「ご飯炊くとき一緒に入れるの。うーん…。ちょっと待って」
 説明が十分理解できずに困っている私の表情を察したのでしょう。その女性は、自分のバッグから何かを取り出すと、おもむろに私の掌の上に、ぽんと乗せたのです。
 なんとそれは、ラップにくるんだおにぎりでした。
 見ると、真っ白なご飯の間に、黄色のイナキビが彩りを添えています。
「こうして食べるのよ。さっき出掛けにむすんできたの。どうぞ」
「うわっ、おいしそう」
「でも、味しないよ!」
 そう言い放つと、さっさと駅のホームに消えてしまいました。

 掌の上に残された、まだ温かいおにぎり。
 こんなに遥か遠くの北の地で、見ず知らずの人が握った、温かいおにぎりを手にするなんて。
 でも、どうして私に?
 午後二時。帰郷の列車待ちのベンチ。遅いお昼にと、しみじみ味わいながらいただいた一つのおにぎりは、お米とキビそのものの素朴な味がして、忘れられない遠野の印象となりました。

寺に戻り、土産話にこんなことを伝えると、家内も北海道で同じような体験をしたというのです。
 まだ学生時代の貧乏旅行で、朝食代節約に、駅でパンと牛乳の簡単な食事をすませて列車に乗ったところ、見ず知らずのおばさんが、わざわざ列車の中の自分を捜し当て、
「あんた、若いのにあれじゃ体がもたないよ」
と言って、ゆでた栗とブドウをひざに載せてくれたのだそうです。
 家内は、行きずりの自分に向けてくれた親切に(どうしてなんだろう)と、涙が出る思いだったと。そして、人に親切にされてうれしかった思いが、二十年以上たった今でも北海道の思い出として生きている、と。

 大好きな絵本作家・宮西達也さんに、
「やさしさと思いやりは、人に移るんです。伝染するんです」
という言葉があります。 遠野からの帰路、長い道中だったにもかかわらず、やけに心が満ち足りていたのは、見ず知らずの方からいただいた親切のおかげで、(なんだか誰かにやさしくしてあげたくなっちゃったなぁ…)というふんわりした思いに包まれていたからに違いありません。

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明窓浄机

イナキビ(いなきび)

文・絵 長島宗深

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