「富士ニュース」平成17年8月2日(火)掲載

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Meiso Jouki

 先日、小学校の道徳講話の後で、男の子がニコニコしながらこんな質問をしてくれました。
「和尚さんはボーズで恥ずかしくないんですか?」
 思わず苦笑いをした私は、初めて剃髪した日のことを久しぶりに思い出しました。いよいよ本山に夏の研修に出かける前日、ネクタイ姿のまま、私は行きつけの理容店を訪れたのです。
「明日、修行に行くので、頭、さっぱり剃ってください!」
 もう数年来の付き合いの店長は、
「お、いよいよか。よし、思い切ってやるか」
と、うれしそうに、バリカンでばさばさと長髪を切り落とし、仕上げは剃刀で慎重に慎重に、頭を剃り上げてくれました。
 仕上げは、たっぷりのクリーム。最初は肌が剃刀に負けるからね、と。
 目の前の大きな鏡に映った自分。真っ白いエプロンに包まった、まさにテルテル坊主のような私の頭は、クリームのおかげでいちだんと輝き、何とそこに、天井の蛍光灯が二本、くっきりと…。
(恥ずかしいなぁ…)
 覚悟の上とはいえ、初めて対面した自分の剃髪姿には、思った以上に違和感を感じたものでした。
 今ではすっかり私に定着したこの髪型(?)。少しでも髪がツンツン伸びていると、何だか居心地が悪くなるほどですが。

 さて、夏のお盆前。 
 みなさんは、こんな剃髪姿のお坊さんによく出会われるのではないでしょうか。汗だくで檀家さんを回る棚経風景です。この頭だけは涼しげですが、身に付けている黒衣は暑そうですね。
 お坊さんのこの法衣姿について、こんなたとえ話があります。ちょっと想像して見てください。大事な品を人さまに差し上げる時のことを。
 まずは品物を包装紙できちんと包み、その上から熨斗をかけ、更には水引きで仕上げますね。
 実は、お坊さんの姿も、これと同じなのです。身体という品物を包む包装紙が「衣」。熨斗に当たるのが、ちいさなお袈裟「絡子」。そして、「手巾」という水引きで結びます。
 では、こうしてていねいに支度をされたお坊さんは、誰に贈られるのでしょうか。
 何とそれは、仏さま宛なのです。
「この私のいのちを、体を、仏さま、どうぞ存分にお使いください」
という意味なのです。
 お坊さんになるということは、自分がこの世で一度だけ使うことを許された大事な体を、仏さまにお供物としてお供えする、ということだったのです。

 初めてこのたとえ話を聞いた時、私は内心(これは困ったことになった。知らないうちに自分はお供物にされてしまった)とびっくりしましたが、今では、ともするとゆるみがちな私の使命感を奮い立たせてくれるありがたい教えとして大切にしています。
「さあ、仏さま、使ってください!」
 きれいに剃髪し、法衣を調え、こうして気合いを込め、今年も一軒一軒、仏さまの使者として、先祖供養の棚経参りを務めさせていただくのです。


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明窓浄机

棚 経(たなぎょう)

文・絵 長島宗深