「富士ニュース」平成17年10月25日(火)掲載

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Meiso Jouki

 縁あって、イスラム教の国、トルコを訪ねました。オリーブ園・果樹園が続く中に糸杉が林立し、のどかな田園風景がどこまでも広がる田舎町・イズニックです。
 お招きいただいたU氏とは初対面。私同様、ほんの少しだけ英語が話せます。

 それはちょうど、断食月の初日でした。敬虔なイスラム教徒なら、日の出から日没まで、一切の食べ物・飲み物を口にしない期間す。
 イタズラっぽく笑いながら彼が尋ねてきます。
「ナガシマ! 今日からラマザンだけど、お昼を食べちゃったんじゃ?」
「…さっきパンを少し」
「ああ…。でも大丈夫!
ボクが神様には黙っていてあげるから」
 指を立て「しーっ」と内緒の合図をしながらウインクする彼に、私は逆に聞き返しました。
「君は食べなかったの?」
 トルコでは国民の九十九%がイスラム教徒だからです。ところが、
「僕も心の中では仏教徒。だから食べても平気だよ。仏教が大好きなんだ」
 どうやら日本同様、この国でも信仰心には温度差がありそうです。私は、彼がどんな風に仏教をとらえているのか、とても興味を持ちました。

 翌朝。
 彼が、自分の靴下を洗ってリンゴの木の枝に干すのがを見えました。「いい考えだね」と声をかけると、彼は即座に、「これが仏教だろう?」と言うのです。
 きょとんとする私に彼は、
「仏教は、こういうプラクティカル(実践的な)な教えじゃないのかい?
型に押さえつけられることなく、自由に、自然に…だろう?」と。
 朝陽の中、白いテラスに腰かけて、彼は語り続けます。
「こうして自然の中で静かに過ごしていると、ほら、風を感じる。耳が澄んできて、鳥のさえずりがすっと心に入ってくる。光を浴びた木々が喜ぶのがわかる…まわりの世界と自分にフェンスがなくなったような心地よさ。仏教はこういうことを大事にするんだろ? だから大好きなんだ」

『あるがままに』という仏教の教えの根本を思い浮かべながら大きくうなずいた私は、「今から坐禅してみないかい?」と誘ってみました。目を輝かせて彼は承知します。
 テラスの床にゆるやかに坐を組み、法界定印という「印」を手で結んでもらいます。背筋をぴんと伸ばし、下腹をぐっと突き出す。視線は一b前の床に落とす、と、身振り手振りで説明します。
 最後は呼吸法です。息はゆっくりと、ゆったりと、ていねいに吐くこと。その時、「ワンー…トゥー…」と心の中で数えよう、と。
 こうしてしばらく坐禅を続けているうちに、彼の体が、呼吸が、心が、しだいに調っていくのがわかりました。その姿をを見届けて、私も坐禅を始めます。
「ひとーっ、ふたーっ」
 オリーブ園を渡るさわやかな風の中、いつしかトルコの自然の中に溶け込んでいく身と心。異国の地で味わったこの野外坐禅は、何ものにも代えがたい、貴重な体験となりました。
 

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明窓浄机

あるがままに

文・絵 長島宗深