「富士ニュース」平成17年11月22日(火)掲載

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Meiso Jouki

 境内の桜の木の幹に、藁を粗く編んだ「薦」が巻かれました。
 春になると美しい花で私たちを楽しませてくれる桜の木を虫から守るための、伝統的な方法だそうです。

 まる一日かけて一人でで作業してくださったのは、ご近所の方でした。
「おかげさまで、毎年、きれいな桜を見せていただいています。お礼といってはなんですが、木のために薦を巻かせていただけませんか? 全部私がしますから…」と。
 私がこの申し出をうれしく思ったのは言うまでもありませんが、それ以上に心地よく感じたのは久しぶりに耳にしたこの『おかげさま』という言葉でした。

 ケニアの環境副大臣・ワンガリマータイさんは、「もったいない」(MOTTAINAI)という言葉を全世界に紹介してくださいましたが、私はそれに劣らぬすばらしい日本語として、「おかげさま」という言葉を大切に考えています。
「いいお天気ですね」
「おかげさまで」
「お子さん大きくなられましたねぇ」
「おかげさまで」
「お元気でお過ごしでしたか?」
「おかげさまで」
 かつて日本人は、あいさつ代わりに頻繁にこの言葉を使いました。
 辞書には「人の力添えや神仏の助けなどによって受ける恩恵のこと」と記されています。
 何に対しても自分の力だけだとは思わずに、さまざまな働きに対して「ありがたい」と謙虚に受け止めてきた日本人の心がよく現れた、すばらしい言葉ではないでしょうか。
 ことに、はっきりとは見えない恩、陰に隠れて見えない恩に対しても、日本人はわざわざ「御」をつけ、さらには「様」までつけて「御陰様」と感謝の心を言葉にしたのですね。

 でも、残念ながら、自分の力で成しとげたのだから何をしてもいいじゃないか!という傲慢さが目につく今のご時世には逆行する言葉です。本当に「もったいない」ことに、忘れかけられている言葉です。それどころか「おかげさま…なんて、ずいぶん卑屈な言葉だ」ととらえている若者もいると聞きます。残念なことです。
 どんなにささやかなことでも、当たり前と思えるようなことでも、「おかげさま」「ありがとう」と、感謝の心で受け止めることができれば、私たちの毎日はどれほども幸せに満ちてくるのに、欲張りな私たちはそれができないのです。
 昔に比べたら、はるかに生活は豊かになっているはずなのに、逆に悩み苦しみは増えている。
 実はこれは、私たちが、自ら不平不満ばかり言って、苦しみの種を自分で作っているからなのです。

 お釈迦さまの悟りとは、「何もかもが『おかげさまの世界』であるということに気付かれたことである」と、ある老師さまは言われます。
 私たちを助けてくれているさまざまな働きに気付き、誰よりもたくさん「ありがとう」「おかげさま」と言えた人が、実はいちばん幸せな人なのです。

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明窓浄机

おかげさま

文・絵 長島宗深