「富士ニュース」平成18年2月14日(火)掲載

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Meiso Jouki

 今日は「滝川のお観音さん」のお祭りです。境内は馬や露店を楽しむ参拝者でにぎわっています。

 この境内の裏山に、私がひそかに「達摩石」と名づけた大きな丸岩があります。そして、その岩の上には、樹齢百年を超えるモチの大木が、岩を抱きかかえるようにして、しっかり根を張って生きています。誰もが目を見張る、厳しい自然の一景観です。

 私はこの岩の上の大木を見上げるたびに思います。ああ、遠い昔、この岩の上に芽生えたモチの木の芽は、根を張った場所に気づいて悔やんだだろうなぁ、と。(しまった! ここは岩の上じゃないか。養分も少なく、雨水も蓄えられない岩の上でどうやって生きていこうか)と。
 でも、どうあがいても始まらない。以来、百年余。まさにこの場でどっしりと生き続けてきているモチの木に、ある禅僧の姿が重なります。
 それは、いまから約千五百年ほど前に、禅(坐禅)を初めてインドから中国に伝えた菩提達摩大師です。
 大師が、岩壁に向かってじっと九年間も坐禅をされたという逸話は有名ですね。私たちにはむしろ「起き上がり小法師」、縁起物の「だるまさん」として親しまれています。

私が子どもたちに坐禅の説明をするとき、このだるまさんは大活躍をしてくれます。
 ころころころ…
 くるくるくる…
 本堂の畳の上を赤いだるまさんが転がり、右に左に、前に後ろに、大きく揺れたあと、やがてすっくとその場で立ち上がります。
 投げる力の強さや手を離すタイミングで、だるまさんはあっちを向いたりこっちを向いたり大忙しですが、やっぱり最後はちゃんと立ち上がります。そのたび子どもたちの目が興味深げに輝きます。一度として同じ動きがないのがおもしろいのでしょう。
 その顔を見ていると私もうれしくなり、だるまさんに申し訳ないと思いながらも、つい何度も転がしてしまいます。

 時には廊下に転がってしまうこともあります。でもだるまさんは、そこで坐禅を始めます。
 力を入れすぎてゴツンと壁にぶつかってしまうこともあります。でも、そこでもだるまさんは、文句も言わず、だまって、坐禅を始めます。
「投げられた ところで起きる 小法師かな」
という古歌のごとくに。
 私たちがもし、このだるまさんだったらどうでしょう? なかなかこうはいきませんね。
 投げ方が悪いと不満を言い、転がった場所が悪いと不満を言って、容易にそこですべきことに向き合おうとしません。
私たちの周りでは、思いがけないことや、意のままにならないことがたびたび起こります。
 その度、心が大きく動揺するのは無理からぬことです。大事なのはここから先です。一時はどんなに心を揺らしても、最後には、(今、ここが、私の、生きる場なんだ)
と、下腹(臍下三寸)の所に心を据え、どっしりと構える。
 七転び八起きのだるまさんの姿から、私たちはこんな教えを受け取らせていただくことができるのです。

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明窓浄机

だるまさん

文・絵 長島宗深