「富士ニュース」平成18年11月 21日(火)掲載

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Meiso Jouki

  テレビドラマを観ていたら、主人公の少女がお母さんに叱られるシーンがありました。
「嘘つきは泥棒の始まりですよ! 嘘をつくような子は、お母さんの子じゃありません!」
 そう強くたしなめられて「もうしません」と泣きじゃくり、必死で許しを請う少女。以前はよく見られた光景です。
 そういえば、遊びの中にも、さりげなく嘘を戒める歌がありました。
「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲〜ます♪ きーった!」
 改めて語源を調べると、嘘をつくと…「小指を切る(かつて遊女の約束の習慣)」、「ゲンコツ一万回(拳万(げんまん))」、「針を千本飲む」の三つの罰を受けると誓うのですから、約束破りには大変な代償を伴ったわけです。
 でもこうした嘘への戒めは、つい自分に都合のいい嘘をつきがちな子どもたちをさまざまな場でたしなめ、何とか嘘をつかない人間に育てたいという、大人の強い願いと責任が込められていたように思います。

先日、鎌倉を訪れた折、「円応寺(えんのうじ)」というお寺に立ち寄って驚きました。ご本尊が、あの「閻魔(えんま)大王」だったからです。
 みなさんもご存じの通り、閻魔大王のお仕事は、死後の裁判で浄玻璃(じょうはり)の鏡の前に私たちを立たせ、生前の所業をすべて映して善悪を吟味し、悪人は容赦なく地獄に落とすことです。
(そんな閻魔さまをなぜ拝むんだろう? 裁判を有利にしてくださいということかな)…漠然とそう思いながらお堂の説明を読むと、意外なことが書かれていました。
 人間を地獄に落とすことは、なんと閻魔さまの罪になるというのです。そしてその罰として閻魔さまは、日に三度、極卒(ごくそつ)や鬼に押さえつけられて、煮立ったドロドロの銅を無理矢理飲まされるといいます。その苦しみは地獄で味わうどの苦しみよりも耐え難い、と。
 でも、人間の罪を知った以上、地獄に落とさなければならないのです。
 そして説明の最後には、もっとびっくりすることが書かれていました。
「実は閻魔さまは、お地蔵さまの化身である」と。
 私たちに悪をさせまいとするお地蔵さまの慈悲心が、閻魔さまや地獄の情景となっているのだと。
(悪いことをするな! 自業自得といって、お前は自分のなした悪で自ら地獄に落ちるのだぞ! この閻魔の裁きが怖かったら考えよ。地獄の様子を見て恐ろしいと思ったら、頼むから悪いことをしてくれるな。お前を地獄に落とさせないでくれ)と。

 仏教には、日常生活で避けるべき「十悪(じゅうあく)」の教えがあります。行いに三悪(殺生・偸盗(ぬすみ)・邪淫(ふりん))。言葉に四悪(悪口・両舌・綺語(たわごと)・妄語)。そして心に三悪(貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・邪見)です。
「嘘をつくとエンマ様に舌を抜かれるぞ」という戒めも、嘘が十悪の中の「妄語(もうご)」だからです。
 人間が生きる柱となる道徳観の薄れた現代。さまざまな価値観が許される社会ですが、せめて仏教の立場での善悪をはっきり説いていくのは、私たち僧侶の大切な務めでありましょう。


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明窓浄机

閻魔大王

文・絵 長島宗深