「富士ニュース」平成18年12月 19日(火)掲載

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Meiso Jouki

  先月初めに開かれた「大道芸ワールドカップイン静岡」。
 目の前で繰り広げられる芸にハラハラドキドキしながらも、時には何百人もの人がいっせいに大笑いするその笑顔に会いたくて、今年も出かけてみました。
 人込みの中、脚立(きゃたつ)とカメラ片手に趣味の写真撮影を一日たっぷり楽しみ、その帰り道。幸いなことに、静岡駅ホームに着いた電車は発車時刻までずいぶん余裕があったため、いい席に座ることができました。
(やれやれ…やっと座れた。それにしても、次から次へとよく歩いて、さすがに疲れた。でも、おもしろかったなぁ)
 居心地のいい座席で、ほっと一日を振り返り、満ち足りた心にしばし浸っていました。

 と、次第に混み合ってきた車内。ふと気がつくと、私のすぐそばに立っていたのは、齢八十は優に超えるであろう老夫婦でした。はっ、と反射的に立ち上がってしまってから、失礼のないように言葉を選んで恐る恐る尋ねてみました。
「あの…よろしかったら、お掛けになりますか?」
 ジーンズに野球帽姿の私からこう話しかけられた時、その品のいいおばあさんはまず私を見て、にこやかにこう言われたのです。
「まあ。あなたもお疲れでしょう? そこへ行ってらしたのですから…」
 大道芸の帰りということは一目瞭然だったのでしょう。私が手で押さえている脚立に目をやって、にっこりと微笑まれたのです。それはまるで、遊び疲れたわが子を全部まるごと受け止めてくれるお母さんの膝枕のような、なつかしい笑顔でした。

「いえいえ、私はしばらく座って休憩したから大丈夫です。どうぞ」
 そう返した私の言葉を聞いて、そのおばあさんはやっと、連れ合いのおじいさんを促して空いた席に着かせ、自らはその側(かたわら)に立つと、私に向かって「悪いですねぇ、悪いですねぇ」と何度も何度も頭を下げられたのでした。
 和服姿の小さなおばあさんがもっと小さくなって深々とお辞儀してくださる姿を目の前にして、むしろ申し訳なさでいっぱいになった私でした。

 仏教で説く、お金や物を必要としない七つの施し『無財(むざい)の七施(しちせ)』の中に、「床座施(しょうざせ)」があります。人に席を譲るというお布施です。
 仏教の生まれた国インドでは、道路脇の大きな木の下で、たくさんの人がくつろいでいる姿によく出会います。暑い時期には木陰が格好のオアシスになるのです。その貴重な席を少しずつ譲り合うところからこの「床座施」という教えができたといいます。
 大道芸の帰り道。電車で「床座施」のお布施をさせていただいた私は逆に、見知らぬおばあさんから、笑顔「和顔施(わげんせ)」と、やさしいまなざし「眼施(げんせ)」、そしてたくさんのありがとうの言葉「言辞施(ごんじせ)」という、思いがけない『無財の七施』をいただいて、心はなんともぽかぽか温かい思いに包まれたのでした。
 寒い季節に向かいます。あたたかい布施の心で過ごしたいものです。  

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明窓浄机

床座施 しょうざせ

文・絵 長島宗深