「富士ニュース」平成19年9月 4日(火)掲載

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Meiso Jouki

  今夏、私は六度目の富士登山に挑みました。
 メンバーは、九州や四国、岐阜から集まった中高年の禅僧八人、加えて大学生の娘とその友人たちの計十一人。
(本当に自分が登れるんだろうか?)…ほとんど登山経験のない初心者の集まりだけに、それぞれが不安を抱いてのチャレンジでした。

 登り始めて二日目の早朝、午前二時。八合目山小屋で、寝不足と頭痛に朦朧(もうろう)とする我が身を奮い立たせて荷物をまとめ、防寒着を着込みます。帽子の上にヘッドランプをつけて踏み出す満天の星空の下。点々と光る人の群れに混じって、のんびりと歩を進めます。
 やがて変わりゆく地平線の空の色。黒から群青、水色へ…そして黄色からオレンジ、茜色へ。巨大なスクリーンの点景となった私たちは、小休止のたびに大パノラマに感動しながら一息ついては携帯酸素を吸い、「よし!」と気合いを入れて山頂に向かいます。

 午前五時。山頂鳥居付近。大幅に遅れたメンバーの到着を拍手で出迎えてお互いの健闘を祝し、全員で山頂標識へ。
 その時、私たちの到着を待っていたかのように、厚い雲間からぱっと御来光が差し込んだのです。
 お日さまに向かって横一列に並んだ私たち十一人は、それぞれの顔をうっすらとオレンジ色に染めながら、無言のまま、その雄大な光景に見入っていました。

 しばらくして私は、この時のために持参した携帯用の小さな鈴(りん)を取り出して言いました。
「みなさん。せっかくですからここで朝の勤行(おつとめ)をします。『般若心経』をお唱えします。さあ、お坊さんになりましょう」
 カラフルな登山スタイルからは想像つきにくいことですが、私たちは帽子やタオルをとれば、あっという間に剃髪姿のお坊さんになります。衣やお袈裟(けさ)はつけていなくても、みんな一瞬でスイッチが入り、背筋が伸びて禅僧の顔になるのです。
「お天道(てんとう)さまに向かって…合掌。礼拝」
 チーンと澄んだ音色が響きわたる中、唱え始めた『般若心経』。
 ゆっくりと、お腹の底から、ひと言ひと言、かみしめるように唱えると、一人一人に万感の思いがこみ上げてきます。無理もありません。持病やケガ、高山病や熱射病などに悩まされながらも、めでたく全員山頂に立つことができたのですから。
 ふと隣に目をやると、涙でくしゃくしゃになった顔を隠そうともせず、遙か遠くを見据えて合掌する、最高齢の老僧の姿がありました。おそらくは生涯にたった一度の体験になるであろう山頂での読経です。

 最後に『普(ふ)回向(えこう)』という結びの言葉を唱えました。
「願わくばこの功徳(くどく)を以(もつ)てあまねく一切に及ぼし、我らと衆生(しゆじよう)と皆(みな)共(とも)に仏道を成(じよう)ぜんことを」…
 それは「このお経の功徳がすべての人に行き渡って、みんなが幸せになりますように」という祈りの言葉です。
 一つ事を成し遂げた達成感からでしょうか。唱え終わったみんなの顔が、よりいっそう輝くのがわかりました。

 

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明窓浄机

富士登山

文・絵 長島宗深