「富士ニュース」平成19年7月 10日(火)掲載

104



Meiso Jouki

「一心頂礼!」
「イッシンチョウライ」
「南無三世三千諸仏!」
「ナムサンゼ サンゼンショブツ」…
 朗々と唱えられる老師さまの言葉を復唱しながら、大勢の檀家さんが、ていねいに五体投地を行じていきます。
 あるお寺で開かれた「授戒会(じゅかいえ)」という行事のひとこまです。
 額と両肘(ひじ)、両膝を床につけて体を投げ出す「五体投地」の礼拝は、イスラム社会では日常的ですが、日本ではほとんど見られません。でもこれは、すでにお釈迦さまの頃から行われていた、最高級の礼拝作法なのです。

 読者のみなさんの中には「うちは仏教です」という方もあろうと思いますが、それでは何かの入門儀式をされたことがありますか? おそらく、経験者はあまりないのではないでしょうか。
 授戒会というのは、信者さんの入門儀式です。
 もちろん、この授戒会に参加しないと仏教徒になれないわけではありません。また逆にこの儀式をしたからといって、形の上で何かが大きく変わるわけでもありません。むしろ「心」の問題といえましょう。
 この儀式の中心は、これまでの生きざまを謙虚に振り返り、知らず知らずに犯してきた罪を懺悔(さんげ)した後、たくさんの仏さまの名前をお唱えし、五体投地の礼拝を捧げていくことです。

 過去・現在・未来の三世にわたり、合わせて三千体を数える「三千仏(さんぜんぶつ)」について、老師さまはこう説明されました。
「この仏とは、実はみなさんの心の名前ですよ。過去の仏とは…みなさん昨日やさしかったじゃないですか。おととい、人に親切にしてあげたじゃないですか、そういうすばらしい心の一つ一つに名前がつけられているんです。現在の仏とは、ただいま礼拝された後のすがすがしい心につけられた名前。未来の仏とは、みなさんの、そのすばらしい心から発せられる願いの一つ一つにつけられた名前ですよ」と。
 あなたの心の中に潜むすばらしい働きに礼拝を捧げ、その心に目覚めていこうというのです。
 参加者は年輩の方が大半です。慣れない礼拝でくたくになりながらも、大勢の仲間に支えられ、延々と続く礼拝を行じていくうちに、しだいに身心が清められていきます。

 この行を重ねた後で、やっと授かるのが「戒(かい)」です。仏さまを信じて正しい生活を送ろうとするときの「お釈迦さまとの約束ごと」です。それは、仏法僧の三宝を大切にする誓いであり、また、なるべく「殺生をしない」「嘘を言わない」という『五戒』です。
 長い一日の礼拝行が成就し、はれて戒を授けられ、その証(あかし)としての書付け(戒(かい)脈(みゃく))を手にしたとき、みなさんは一様に晴れ晴れとした表情を浮かべられるのです。
 でも、ここで肝心なのは、この戒脈が永遠に有効な証ではないということです。運転免許にも更新が必要ですし、無茶をすれば取り消されますね。今日をスタートに、戒を大切にしながら日々精進することを心がける…これが、仏教入門行事たる授戒会の目的なのです。
 

おはなし 目次に戻る
明窓浄机

授  戒

文・絵 長島宗深