「富士ニュース」平成19年2月 20日(火)掲載

99



Meiso Jouki

  縁あって、初めて訪れた、ある山深い古刹でのこと。
 到着後、私は大変おそれ多いご挨拶をいただきました。
 床の間の脇で正座して待つ私の耳に、廊下から響いてきたのは、腹のすわった野太い声…。
「お願いいたします!」
 ところが、すーっと開いた障子の向こうから現れたのは、声の迫力とはおよそかけ離れた、八十近いご老僧でした。
 作法どおり、右手にお抹茶の天目台(てんもくだい)、左手にお菓子の縁高(ふちだか)を捧げ持って、正座からぎくしゃくと立ち上がり、ご老体をかばいながら私の前でひざをつくと、深々と頭を下げてくださいます。
 私は、身をこわばらせ、申し訳なさいっぱいで合掌しながらも、ご老僧のそのゆったりと、おごそかで大きな動きに見とれていました。修行を手離さず、保ちつづけてこられた禅僧の美しさを感じたからです。

 型通りの挨拶がすむと老僧は、ふーっと大きく息をついて、ひと言。
「五十年間こういうことを続けておりますと、だいぶ体にガタがきます」
 こんな言葉で和ませてくださった後、淡々と、いろんなお話をしてくださいました。その言葉の端はしに、己への厳しさと相手へのやさしさが感じられて、静かな感動に包まれた私でした。

 予定された行事の後、檀家さんと一緒に食事をすることになりました。
 目の前には、キンピラゴボウやほうれん草のおひたし、漬物など、檀家さんが持ち寄った大皿のお惣菜が並んでいます。
「さ、どうぞ。まずは妙善寺さんから」
 いちばん上座の席に私を促し、料理の皿を勧めてくださったご老僧。皿には、真ん中で上手に切られたおいしそうな煮卵と鶏肉がずらり。私は、見るからに形もよく色鮮やかなひとつを選んで、皿に載せました。
 と、そのご老僧は、いちばん手前にある、形の崩れた不恰好なひとつを箸に取られたのです。何の躊躇もなく、ごく自然に。

 このようすを見た私は、たまらなく恥ずかしくなりました。なぜなら、そのくずれた卵は、私があえて敬遠した煮卵だったからです。
 実はこの日私は、分不相応に丁重なもてなしをいただいていました。玄関から金襴のスリッパで緋(ひ)毛氈(もうせん)の上を歩き、床の間の前の立派な座布団に座り、何度も何度も深々と頭を下げられました。
 こんな扱いを受けた私は、(主賓なのだから、いちばんおいしそうな卵をいただくのは当然)と、行事も無事すんだ安心感も手伝って油断していたのでしょう。
 誰に責められたわけではありません。でも私はこの時、無意識の内に、(まず自分から。まず自分さえよければ)という心が涌いたことに気づき、少し自分があさましく思えたのでした。
 また、お腹に入ってしまえば何も変わらない卵の形まで選り好みしようとした自らの至らなさにも気づいたのです。
 ご老僧の姿を鏡にわが身と見比べ、ありがたく受け取らせていただいた、生きた尊い教えの一こまでした。


おはなし 目次に戻る
明窓浄机

煮  卵

文・絵 長島宗深