「富士ニュース」平成19年4月 17日(火)掲載

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Meiso Jouki

 ある有名寺院の境内。
 梅の木のそばで、二人の女子高生がはしゃいでいました。手にした小さなおみくじの紙を少しずつ読み進めては、一喜一憂しているのです。
「あっ、末吉! これって喜んでいいの?悪いの? ま、いいや。中身読んでみよっ。なになに…失せ物出がたし待ち人来たらず…だめじゃん。あ、でも縁談整ってよし、って。ラッキー」
「いいなあ。じゃ、今度は私の。…げっ、どうしよう。凶だ。待ち人来たらず。婿、嫁取り悪し。望みかないがたし…最悪。どうすればいいの?」
「悪いくじは木に結ぶとか…あ、あのお坊さんに聞こう。すいませ〜ん」
 たまたまそこに居合わせたばかりに相談を持ちかけられた私は、戸惑って苦笑いしながら、こんなふうに答えました。

「そう。凶が出て困ってるんだ。あなたたち、国語で『徒然(つれづれ)草(ぐさ)』って勉強した? そこにはね『吉日に悪をなすに必ず凶なり。悪日に善を行ふに必ず吉なり…吉凶は人によりて、日によらず』って出てるよ。いくらいい日でも悪いことをすれば凶、悪い日でもいいことをすれば吉。おみくじの結果(運勢)にはあまりふりまわされず、今自分のすべきことをしっかりしよう、という教えだよ。
 でも、それでも気になるなら、とっておきの方法を教えてあげる。簡単だよ。大吉が出るまで、ずっとおみくじを引き続ければいいんだよ。ただそれだけ。人生は自分で切り拓こう!」

 きょとんとした二人は、
「えーっ。そんなことしたら、お金なくなっちゃうからだめだよ。お坊さんが儲かるだけじゃん」
と笑っておみくじを枝にくくりつけると、何もなかったかのように、仲良くお喋りしながら去っていったのでした。

 占いブーム、というのでしょうか。新聞や雑誌、テレビでも、さまざまな占いがにぎやかですね。
 ともすると誤解されがちなのですが、実は本来の仏教の教えの中には、占いも、運命論もありません。
 仏教が日本に伝来して約千五百年。その間、儒教や道教、神道、先祖崇拝や、さまざまな迷信・俗信が組み込まれ、固有の「日本仏教」となりました。
「瑞兆(ずいちょう)の占い、天変地異の占い、夢占い、相(そう)の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともに捨てた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう」(『スッタニパータ』)
 実はこれが、占いに対するお釈迦さまからの本当のメッセージです。

 とはいえ、私のお寺でも昔から、観音さんのお祭りの時にはおみくじコーナーが置かれ、若い方たちがジャラジャラと派手な音を立てて真剣に引いていきます。
 年季入りの木箱の小さな引出しに一番から百番まで納められたおみくじの札を一つ一つ見ていくと、みんなが大好きな大吉にも気をつけるべき点があり、また大凶にも具合のいい点もあることがわかります。
 お楽しみに「運だめし」で引くおみくじは、むしろ、日々の生活や人生の教訓というものかもしれません。


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明窓浄机

おみくじ

文・絵 長島宗深