「富士ニュース」平成19年10月 2日(火)掲載

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Meiso Jouki

  今をさかのぼること四十九年。昭和三十三年秋、縁あって伊豆に住まいしていた私は、あの死傷者千人を超えた「狩野川台風」に遭いました。
 まだ二歳半の幼児でしたからその様子は全く記憶にありません。しかし、父の残した随筆を紐解くと、おぼろげながらもその時の恐ろしい状況が浮かんでくるのです。

当時、私の家族は狩野川の支流の土手際に住んでいたそうです。ある豪雨の夜、けたたましい半鐘に飛び起きて外を見た父の目に映ったのは、すでにすっかり家の周りを包み込んだ濁流でした。
 (もう逃げられない!)と直感した父母は、部屋中の畳を積み上げ、天井板を打ち抜いて避難路を確保すると、停電で漆黒の闇となった家の中で、ただじっと恐怖に耐えていたのだそうです。ひたひたと床板に迫り来る増水と、時折家にぶつかる流木の不気味な音と震動におびえながら…。

 その時の思いを父は、こう記しています。
「…現状を知るべくもない二児は、高く積み上げられた畳の上で安らかに眠っている。この児たちだけは、何とか死なせたくないという思いが胸をしめつけた。私達二人はその時二十五歳であった」と。
 幸い難を逃れた私たちでしたが、いつになってもこの台風のことを思うたびに、今、この命あることの奇跡を思うのです。そして、今は亡き父が命がけで私たちきょうだいを守ってくれたことに対して限りない感謝の思いが湧き起こります。ひとつ間違えば、今の私も、そして私の三人の子どもたちも、この世にはいないのですから。

 仏教に『大海の一針』という喩えがあります。
 ちょっと想像してみてください。今、どこかわからない大海原の真ん中にいるとします。見渡す限りの海。その海に飛び込みます。そして、ゆっくり潜っていき、真っ暗な海の底に着いてそっと手を伸ばしたら…そこに、なんという偶然か!一本の小さな針が落ちていた。
 私たちが、人間に生まれ、今、こうして生きているというのは、広い海のどこに落ちているかわからない、たった一本の細い針を拾い上げたような奇跡。それほど稀なことだというのです。

 私たちは、今、確かにその針(命)を持っています。でももし、万が一落としてしまったら、もう二度と拾い上げることはできません。あの海の、どこに落ちているかわからないのですから。これを、死といいます。
 細くて小さな針です。
 落としやすい針です。
 病気や怪我でも落とします。思いがけない天災や事故でも落とします。中には、嫌になって自分から捨ててしまう人もいます。せっかく手にしたたった一つの大海の一針の命なのに。

 仏教では、四恩といって、私たちが感謝すべき四つの恩の第一番に「父母の恩」を掲げます。
 生きるチャンスを与えてくれた両親や、数多くのご先祖さまに心からの感謝を込めて手を合わせ、さらには、このかけがえのない命をどう生きたらいいか、いつもいつも謙虚に向き合いたいものです。


 

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明窓浄机

大海の一針

文・絵 長島宗深