「富士ニュース」平成19年11月270日(火)掲載

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Meiso Jouki

  五十歳を過ぎ、パソコンの画面や新聞など、近くの物が見えにくくなったと実感するたびに思い出す、大好きな仏伝があります。お釈迦さまの弟子の一人、アヌルッダという目の不自由なお坊さんのお話です。

 当時、お坊さんは自分のことは何でも自分でする決まりになっていました。ある時、衣のほころびを繕おうと針に糸を通そうとしたのですが、どうしてもうまくいきません。そこで彼はまわりの修行僧に向かってこう問いかけたそうです。
「誰か私のために針に糸を通して、功徳を積みたい方はおられませんか?」
 その声を耳にした一人のお坊さんが答えました。「では私が功徳を積ませていただこう」
 その声の主は、なんとお釈迦さまでした。アヌルッダはあわててお詫びをしました。
「すみません。私はお釈迦さまにそんなことをお願いしようと思ったわけではありません。誰か別の修行僧に頼んだのですが…」
「なぜ、私ではだめなのだね?」
「お釈迦さまはすでに悟りを開かれて、すべての功徳を身につけておられます。もうこれ以上、徳を積まれる必要はないではありませんか」
「そんなことはないのだよ。徳を積むのにもうこれでいいということはない。私だってもっと徳を積んで、幸せになりたいのだよ」
  ※  ※
 少し言葉を柔らかくしてありますが、もう二十年近く前に出会ったお釈迦さま晩年の逸話です。当時私は、この話に強く心うたれました。
(あのお釈迦さまも、私たちと同じように幸せを求めていたのか。幸せになりたかったのか)と。
 そして、老いた目には容易でない糸通しを、背をこごめ何度も何度も根気よく繰り返されたであろうお釈迦さまの姿を思い描き、何ともいとおしく、じんと胸が熱くなったのです。

 後で知ったことですが、この世の誰よりも強く「幸せ」になることを望まれたのが、お釈迦さまだと言われます。
 小さい国ながら王子として生まれ、何不自由ない裕福な暮らしの中に成長されながらも、感受性の強いお釈迦さまは「生老病死」という人間が逃れることのできない根本的な「四苦」の厳しい現実の前に苦悩して出家され、ありとあらゆる修行の後、ついに大きな安らぎを得られます。
 それは、この苦しみの世にあって、どう幸せに生きていくか、という正しい智慧でした。
 お釈迦さまが亡くなって二五〇〇年たった今、私たち和尚の使命は、この智慧の教えを一つでも多く、一人でも多くの人に伝えていくことだと、私は考えてきました。以前勤務していた出版社を退職するときも挨拶で述べたのがこのことでした。
「私はこれから、仏教の教えで人が幸せになるためのお手伝いをする仕事を、一生かけてしていきます。仏教はわかりにくいことがたくさんあるので、そこは私が編集者として身につけたノウハウの出番。誰も任命してくれないけれど、仏教の通訳になります!」
 十数年たった今、当時以上にその思いを強くしている昨今です。

 

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明窓浄机

幸せになりたい

文・絵 長島宗深