「富士ニュース」平成20年1月29日(火)掲載

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Meiso Jouki

 九十半ばを超え今なお現役で活躍中の医師・日野原重明さんは『寿命』についてこう語ります。
「からっぽのうつわの中に、いのちを注ぐこと。それが生きるということです。手持ち時間をけずっていくというのとはまるで正反対に、寿命という大きなからっぽのうつわのなかに、精いっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです」
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 夜半に降り続いた雪が、うっすら銀世界を装った先週の朝。みぞれ雪に靴を濡らし、白い息を吐きながら、大勢の子どもたちが本堂を訪ねてくれました。地元の小学五年生たちです。
 春に最上級生になる前に坐禅を体験して心を調え、さらに和尚さんから命の大切さを学ぼうという校外授業でした。
 命の大切さを伝えるのは私の使命。ましてや母校の後輩たちのこととあって、話したいことは山ほどあります。瞳を輝かせて耳を傾けてくれる子どもたちに、途中でこんな話をしてみました。
「今、坐禅とお話を始めて三十分たちました。この時間はどういう意味かわかりますか? 実は、みんなは自分の『命』を三十分も使ったということです。言い方を変えれば、和尚さんはお話を聞いてもらうのに、みんなの命を、三十分ぶんもらっちゃったということです。一度しか使えない、やりなおしも絶対できない、大切な命なのに。こんなことして、いい?」

 数年前、別の学校の道徳の授業では、「イヤだ! 和尚さん、私の命とらないで」「僕の命、返して」と、子どもたちの間に小さなどよめきが起きた問いかけです。
 今回は本堂の厳粛な雰囲気の中ですので、大きなリアクションこそありませんでしたが、とまどいながら黙って見返してくる瞳には明らかに(いやだ!)という意志が読み取れました。
「そうだね。たとえ少しだって命を取られるのはイヤだね。でも…残念だけれど、みんなが今使ってしまった命を返してあげることはできないんだ。ごめんね。
 でも和尚さんだって、自分の大切な命を、みんなにお話をするのに使ったんだよ。あいこだから許してね。それが、命を使うということなんです。命は、時間です。今ここで、窓の外を気にしながらぼーっとお話を聞いていた人も、使った命は三十分ぶん。真剣に聞いてくれた人も、同じ三十分ぶんの命。どうやって使うかは、みんな次第だよ。
 もう一つ覚えておいてほしいのは、自分のわがままで人を待たせるのは、人の命の時間を無駄遣いさせること、人の大切な命を勝手に取ってしまうことだということです。来年の修学旅行では特に大勢の友達と一緒だから気をつけようね」

 帰り際、一人の女の子が、子どもとは思えないようなしっかりした目で、はっきりと私にこう告げに来てくれました。
「和尚さん、私は、お話がものすごくよくわかりました。きょうは来てよかったです。ありがとうございました」
 この子たちとの一時間は、私にとっても、自信を持って『寿命』のうつわに納めることのできる宝物の時間になったのだと思いました。
 光陰惜しむべし無常迅速時人を待たず。今年一年、こんなふうにひとつひとつていねいに、うつわを満たしていきたいと思った、新春のうれしい出会いでした。

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明窓浄机

いのちの授業

文・絵 長島宗深