「富士ニュース」平成20年3月18日(火)掲載

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Meiso Jouki

 和尚さんの茶飲み話に、野生の猿のいたずらが話題になることがあります。
 沼津の和尚さん。
「猿が、裏の畑から取ってきたお芋を、スーパー袋に入れてぶら下げてきて、本堂前の階段に坐って、足をぶらぶらさせながら、おいしそうに食べてましたよ。別の日には、バイクのタンクに乗っかって、ミラーで自分の顔を眺めてたり。そうそう、この間はお墓で缶ジュースを飲んでました。お供えのジュースをプシッと開けてね。本堂の屋根にもよく乗ってるけど、下でいくら人が大騒ぎしていても平気です」
(ホントかなぁ…)と聞いていると、今度は伊豆の和尚さん。
「猿はずうずうしいからな。そういえばこの間、近所の猟師から聞いたんだけど、悪さをする猿をとうとう追い詰めて、銃を向けたんだそうだ。そうした
ら、さすがに観念したらしい、じっと目をつぶってね…合掌したんだって、猿が! いかに相手が猿といえど目の前で合掌されたら引き金を引けなかったって」  
 私はこれまた(ホントかなぁ…)と苦笑いしながらも、賢い猿のことだからそれくらいはするかもしれないと思いました。そして、人間が大事にしている合掌の姿を、猿もちゃんと見て知っているということに、なんだか感銘を受けたのです。

 『合掌』というのは、ご存じのように、インドでおこなわれている礼拝の一種です。また、挨拶のとき、相手を敬う心をこめてする場合もあります。ことに禅宗では、相手の人の心の中に、尊い仏さまの働き(仏心)が潜んでいると信じて、その仏心に手を合わせていきます。 
 仏教徒としての基本の挨拶の方法ですので、お寺で坐禅会をするときには、まず、この作法を説明するのが常です。
 音がしないように静かに手を合わせ、ぴんと伸びた指と指がぴたっとくっつくように! 中に何か隠しているみたいにふくらめないで! と、禅宗に伝わる合掌の方法を伝えてきた私ですが、最近、ある禅僧の教えにふれ、少し考えの幅が広がりました。(こんな心で手を合わせるのもいいなぁ)と思ったのです。

 ティク・ナット・ハンというベトナムの禅僧の著書の中にこんな詩偈が紹介されていました。
『あなたへの蓮の花 
ブッダがそこにおわす』

 この禅僧は、合掌の挨拶を「両手で蓮のつぼみの形をつくるのはとても楽しいことです。ときどき試してください。またチューリップのつぼみのほうが心に描きやすいのでしたら、チューリップだと思ってもかまいません」と語ります。蓮の花もチューリップも、内に仏さま(ブッダ)を秘めていて、相手に蓮やチューリップのつぼみを捧げて拝むのは、相手の人の心の中にいらっしゃる(おわす)仏さまを拝むことになるというのです。
 ぴんと伸ばした指に素直でいつわりのない心を表すのが「堅実心合掌」。つぼみのようにちょっとふっくらした「虚心合掌」は、子どものようなけがれのない心を表すといいます。
 境内の桜のつぼみが、だいぶふくらんできました。桜の花も、いっせいに、私たちに合掌をしてくれているようです。

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明窓浄机

合  掌

文・絵 長島宗深