「富士ニュース」平成20年5月13日(火)掲載

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Meiso Jouki

 忘れられないエピソードがあります。
 昔、アメリカのある学者さんが、サボテンに向かって毎日、こんな言葉かけをしたそうです。
「なにもそんなにトゲを出して自分を守らなくてもいいよ。誰もがみんなあなたをかわいく思って守ってくれるよ。トゲがないほうがみんなから愛されるよ」
 そうしているうちに、不思議なことに、後から出てきた芽の中にトゲのないサボテンが現れたというのです。
 もうひとつは、別の人が試みたサクラソウの実験です。二鉢のサクラソウを用意して、一つの鉢にはさんざん悪口だけを浴びせかけ、もう一方には愛情あふれる言葉をかけ続けていたら…悪口の鉢の花はいじけ、愛情いっぱいの鉢はきれいに咲きそろった、というのです。
 どちらも、数十年前に出合った話であり、ことの経緯も信憑性も定かではありませんが、(そんなこともあるかもしれないなぁ)と、妙に説得力のある話として私の心に残っています。

 最近、小動物や草花への弱い者いじめのしうちをあまりにも多く耳にして、心痛みます。
 水戸では湖畔で巣ごもりしていた黒鳥・白鳥が撲殺される事件がありました。ふだんは大切に保護されており、人間の手から餌をついばむほどになつき、人を信頼していたというのに。
 全国ではチューリップの花が折られる無惨なニュースが後を絶たず、(またか…)と暗い気持ちになる日が続きました。訪れる人の心を和ませようとする地域の方たちに丹誠込めて育てられ、やっと誇らしげに咲いた花々なのに。
 こうした「物言わぬ相手」のいのちを軽視するニュースに触れるたびに、いじめられた生き物の心の中の痛み、無念さが偲ばれます。と同時に、ある老僧からうかがった言葉が何度となく浮かび上がるのです。

 その和尚さんが、まだ小僧時代のことです。当時、相当のやんちゃだった和尚さんが、言いつけられた境内の掃除にあきて箒を投げて遊んでいたら、木に引っかかってしまったのだそうです。
 困った和尚さんが何かないかと周りを見回すと、都合のいいことに箕が目に入った。(しめた!)とばかり、その箕を投げ上げては、落とそうとしたけれど、何度やってもうまくいかない。
「その音を聞きつけたんだろうね。師匠は部屋から飛び出して来るや、いきなり私を両手で抱えてね…そのままドサッ!と落とした。死ぬかと思うほど痛かった。びっくりして思わず『何するんや!』って食ってかかるとね、師匠はひと言…、
『箕も痛いんや!』って。
 それでも当時は(なんてことするんだ)という思いしか湧かなかったな。今、その教えの意味がしみじみわかる」と。
 私は、その「相手」が、人であれ、小動物や草花であれ、ひいては、たとえモノであったとしても、その相手に対するこういう誠意を忘れてはならないと、強く思うのです。

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明窓浄机

箕も痛いんや

文・絵 長島宗深