「富士ニュース」平成20年10月28日(火)掲載

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Meiso Jouki

  東京で開催された奈良・薬師寺展はずいぶん賑わいを見せたようです。国宝の日光月光菩薩をはじめ、薬師寺を代表する宝物が出展されていたからです。
 初めて寺外で公開されるとあって、準備の段階から撮りためられた映像が幾度となくテレビで紹介されていました。
 薬師寺に長く仕える高僧方が、感慨深げに、代わる代わる仏さまの御身ぬぐいをし、「この日本を救う世直しのために、いよいよ東京にお出ましになるのだ」と、自らに言い聞かせるようにしては寂しさをおさえ送り出すさまは、同じ宗教者として心打たれるものがありました。

この薬師寺は、私の大好きなお寺の一つです。これまで何度となく拝観させていただいていますが、好きな理由はその活気にあります。お寺に、お坊さんがいるのです。
 不思議なことに、奈良・京都を旅してもあまりお坊さんの姿を見かけることがありません。ところが薬師寺では、いつもどこかでお坊さんが説法をしている姿に出会えます。そのお話がまた、誰をも引きつけて放さない、愉快で奥の深いお話なのです。修学旅行生相手の法話で全国に名を馳せた、あの高田好胤管主さまのご指導のたまものでしょう。ここには、生きた仏教がある! いつもそう感じ、たくさんの刺激をいただいてきました。

 ところが、一緒に参拝する方の中には、私とは違った印象を持たれる方もいらっしゃいます。もちろん創建当時のままの東塔(三重塔)は別としても、次々に整備される色鮮やかな伽藍に、(けばけばしくて、品がない)(色が派手で、重みやありがたみをあまり感じない)(なんだか新しすぎて)…と、感じられるようなのです。
 実は、私もかつてはそういう印象を持つ一人でした。でもその私の心に一石を投じてくれたのは、数年前の韓国寺院巡りです。

 韓国では、お寺は極彩色が多く見られます。仏像はどこも金ピカです。ガイドさんにそのわけを尋ねると、(あなたはお坊さんなのにそんなこともわからないのか)と、あきれたようにこう答えてくれました。
「薄汚れていたのでは、仏さまがかわいそうじゃないですか! 罰が当たります。それにそんな不完全な姿では御利益も期待できません。だから、みんな金箔を少しずつ持ち寄って張るんですよ」
 聞くところでは仏典にも「如来の体は金色に輝く」とあるそうです。以来私は「仏像も伽藍も完全な姿であるべき」という視点でも、お寺を観ることができるようになりました。
 確かに、古色蒼然とした仏さまや建物には歴史の重みが感じられ、相対する者に、何とも言えない心の安らぎをもたらしてくれます。今も私はこういう風情は大好きです。でもその一方で、(仏教を侘びさびの風流の世界だけでとらえ、風化させてはいけない)と、危機感を抱いていることも事実です。
 この混迷の世にあって、今を生き生きと働く仏教…伝統宗教の一僧侶である私の大きなテーマです。

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明窓浄机

生きた仏教の姿

文・絵 長島宗深