「富士ニュース」平成21年3月17日(火)掲載

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Meiso Jouki

 ファミリーレストランでのこと。
 通路をはさんで反対側の席で、若いお母さんと五歳くらいの男の子が食事をしていました。男の子の前には、おいしそうなお子さまランチ。でもその子はなんだかうれしそうではありません。キョロキョロそわそわしています。なぜなら、目の前のお母さんがちっとも相手にしてくれないからです。

 お母さんが夢中で向き合っているのはケータイ電話でした。自分の食事さえもそこそこに、ケータイの操作に没頭しています。
(せっかくの楽しい食事なのになぁ、かわいそうに…)
 黙々と続ける食事は、幼子には退屈なのでしょう。落ち着きなく食べたり休んだりしているうちに、何度か私と目が合いました。
 私もことさら見るともなく気にしていたのですが、目が合うたびについニコッと微笑んでしまう私をいぶかしく思ったのでしょう、あわてて目をそらすと、つまらなさそうにスプーンをもてあそんでいます。
「早く食べな!」
ときどきお母さんから催促が入り、あわててハンバーグを口に運ぶ男の子。やっぱり、ちっともおいしそうではありません。

 子を持つ同じ親として、何だかこれはとても悲しい光景に思えてなりませんでした。なぜなら、子どもが楽しそうに物を食べる姿を見守るのは、親として何より幸せなひとときだと、これまで私は感じていたからです。
「早く食べなってさっきから言ってるのに。いいかげんにしな! もう行くよ」
 子どもがまだ半分も食べ終わらないのに、ケータイを握りしめ、さっさと席を立ってレジに向かおうとするお母さん。その後を、懸命についていく男の子。見れば二人とも、今風のすてきな服装です。そのファッションがとてもおしゃれだっただけに、いっそう心寂しくなってしまいました。

 携帯電話の利用マナーやルールが何かと取り沙汰される昨今です。いろいろな考え方があるのでしょうが、私が携帯電話の使い方でいちばん強くわが子たちに意思表示をしたのは、私が運転する車の助手席でメールのやりとりをしてほしくない、ということでした。隣に人(私)がいるのに、その人を無視して、どこか遠くの友達と黙々と連絡を取られるのが、私には何だかとても残念に思えたからです。
(ここにお父さんがいるんだから…まず、今、ここで関わっているお互いを大事にしようよ)という気持ちを込めて、
「ねえ、そのメール、今、どうしてもしなければならないの?」
と、折に触れ、私の気持ちを伝えるようにしました。人と人との関わりにおいて、目の前にいる相手と向き合う以上に大切なことなど、そうそうないと思ったからです。
 携帯電話は確かに大変便利な道具です。でも、その便利さに押し隠された小さな危うさにも、心を向けたいものです。

『物で栄えて心で滅びる』と警告された薬師寺・高田好胤師の言葉に耳を傾けてみませんか?
 

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明窓浄机

携帯電話

文・絵 長島宗深