「富士ニュース」平成21年7月7日(火)掲載

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Meiso Jouki

 前回は、私たちが自分で自分に苦しみの矢を放ってしまう『第二の矢』の愚かさについてお話ししました。今回は、この矢を避けるにはどうしたらいいか考えてみます。
 
私の修行道場の師が、坐禅指導の折によく口にされていたのは、「坐るときは『よしっ!』と気合いを入れて坐らんか!濡れ雑巾が引っかかっているみたいに、だらーんとしとったら意味なさんぞ。頭の中で、あぁじゃとか、こうじゃとか、妄想ばっかりかいてたんじゃ駄目じゃぜ!」という気迫のこもった一喝でした。延々と続く坐禅に、心身ともども疲労困憊した様子が見えるとこの檄が飛びます。その度、ビクッと震え上がり、気持ちを入れ直す私でした。

 そうなのです。坐禅を始めた当初、脚の痛みをこらえて坐っていると驚くほどいろんな妄想が浮かぶのです。「早く終わらないかなぁ、あと何分だろう?」「仲間はだいぶ禅問答の進み具合が速そうだ。いいなぁ…焦るなぁ」「家族はどうしているかな?」…なにしろ体は健康なのに昼間からただじっと坐っているだけなのですから、老師がおっしゃるように「あぁじゃとか、こうじゃとか」完全に妄想の虜になってしまうのです。
 が、そんな時、老師の一喝で脊梁骨(背骨)をびしっと伸ばし、下っ腹を突き出してから、「ふーっ」と息を吐きながら呼吸を調えていくと、何もかもが一旦リセットできて力が湧いてくること度々でした。もちろん痛みはすぐに戻ってくるのですが、ひととき確かにすっきりとした気持ちになるのです。
 今でも妄想がわいてくると、まずその場で姿勢を正し呼吸を調えてから、老師の姿と「あぁじゃとか、こうじゃとか」という決め台詞を思い起こすと、気持ちがリセットでき、第二の矢をよける助けになっています。

 このリセットが大事なのです。
 知り合いの和尚さんからこんな話も聞きました。そのお寺の檀家さんに、「ありがたいこっちゃ」が口癖のおじいさんがいるそうです。どんなときでも口にするので、あるとき和尚さんが尋ねたそうです。「あんた何でもかんでもそう言うけれど、本当にそう思ってるの?そんなわけないだろ?無理してんじゃないの?」と。すると、「そりゃあ、俺だって、いつも心からそう思ってるわけじゃないさ。でも、これが不思議なんだけど、『ありがたいこっちゃ』と口にしていると、どんなに恨めしいことも、どんなに苦しいことも、一旦、プッツリ切れる。ご破算になるんだよ」。

 お釈迦さまの教えに「過去を悔いるな、未来を憂うな、今というこの瞬間に集中しなさい」という言葉があります。でもなかなかそうできない私たちは、妄想の虜となり、ともすると「幽霊」のような心の状態になってはいないでしょうか。うらめしや、と力なく前に伸ばした手は、「まだ起きてもいない未来に対する取り越し苦労や心配」の姿。後ろに伸びた長いザンバラ髪は「過ぎてしまった過去をいつまでも引きずる」姿。そして、肝心な今、大地に足がついていない!

 今すべきことに集中し、第二の矢を受けないためにも、自分のさまざまな妄想を一旦リセット(ご破算)できる強い言葉をひとつ持つことをおすすめします。それは、お経の一節でも、お念仏やお題目でも同じではないのかと、私は思っています。

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明窓浄机

妄想のリセット

文・絵 長島宗深